別冊 WEBサッカーマニア 珍日本サッカー書誌学
野球防衛軍 武田薫 がサッカーを書いていた!?
武田薫といえば、野球防衛軍の佐官級将校という位置付けの人物で、実際に偏執的な野球擁護と反サッカー発言を繰り返してきた。この人がサッカーを書いていたことがある(!?)といったら驚くだろうか。
……と、いうわけで、(いろいろ問題はあるかもしれないが)大公開!
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報知新聞を退職後、1986年「朝日ジャーナル ノンフィクション大賞」で佳作になったのが、この人がフリーとして台頭するきっかけである(その作品「カルロスが走るまで」は国会図書館の雑誌記事検索では発見できなかった。未発表なのだろうか?)。
1887年、トヨタカップにポルトガルのFCポルトが出場した。この年のトヨタカップ(ペニャロールとの雪中戦)を書くために、今は亡き『イレブン』(日本スポーツ出版社/『ゴング』の版元)に起用されたのが武田で、当時としてはポルトガル語が使える数少ないスポーツライターだった。当時のポルトガルは、エウゼビオが活躍した'66年W杯の3位入賞が思い出として語られるくらいで印象の薄い国で、専門誌や大会プログラムが本拠地の「ポルト」を「オポルト」、選手の「ルイ・バロシュ」を「バロス」と表記するなど、ポルトガルの人名・地名を英語読み表記にしたことを武田が憤慨していた記憶がある。
その次に国見高校が初優勝した高校サッカーのレポートを『イレブン』'88年4月号(当時のサッカー月刊誌は発売月の2ヶ月先の号数だったので2月21日発売)書いた。いずれもサッカー自体には詳しくない人なのでそんなに面白くない。ここからしばらく憶測になるが、この人の起用の意図は別のところにあったのではないかと睨んでいる。
たしかこの時の『イレブン』の編集長は伊東武彦だった。後に『サッカーマガジン』に移籍し、編集長となり、さらに朝日新聞の週刊誌『アエラ』に移籍した、あの伊東武彦である。結果的に『イレブン』は廃刊前の最後のリニューアルとなってしまうのだが、伊東はいろいろ新しいことをやりたかったのではないかと思う。武田に「外からの視点」を期待したのではないか。『サッカーマガジン』の表紙に浴衣姿(逆版だから襟が女みたいに右前だった 笑)のトルシエを使った人だからありえる話だと思う。
同じ『イレブン』'88年4月号で「日本のサッカーはなぜ強くならないか」という特集があった。そう言ったところで、プロ化(選手の登録制度としてのプロ化はされていたが、この場合プロリーグ創設のこと)という一番肝心な課題を外してしまうのだから隔靴掻痒の感は否めなかったのだが、ひとり異彩を放っていたのが武田の「世界の波間で漂い、さまよう日本のサッカー」だったのである。
たしかにあの頃は、同じ国立で行われるトヨタカップと高校サッカーが同じスポーツだとはなかなか信じられなかった……。
もっとも印象的な話は、サッカーが強くなってもポルトガルにとって少しも良いことはない! と発言した女子マラソン選手ロザ・モタ(ロサ・モタ/ソウル五輪金メダリスト)のだろう。武田の著作『ロザ・モタ――ソウル五輪マラソンの女王』(ランナーズ '89)にもっと詳しい経緯が書いてある。日本テレビのスタッフがモタがFCポルトについてコメントした映像を見つけてきた。武田に翻訳を依頼した。武田は素直に翻訳した。「ポルト頑張れ!」を期待していたら、あの意外な発言。日テレはやむなくボツにした……。
ポルトガルのサッカーは、独裁者サラザール時代には実際に不幸の元凶でもあったのだろう。だったら昭和30年代の日本野球もそうではなかったか? 不幸の元凶……とまではいかなくても長嶋茂雄時代の野球は、世の中の不幸や矛盾を覆い隠すカラクリではなかったか。報知出身の武田は読売や渡邉恒雄に甘いと批判され、事実そうなのであるが、いま現在ナベツネが良かれと思ってやることが日本野球にとって良いことにはならないので余り気にならない。むしろ長嶋茂雄世代で長嶋に一定の批判が出来るかどうかである。海老沢泰久くらいしか思い浮かぶ程度だ。この人は中田英寿信者だが。
もうひとつモタがサッカーをよく思わない理由がある。これも武田の『ロザ・モタ』から。モタはFCポルトの陸上部の所属だった。ポルトガルサッカーといえばベンフィカ・リスボン/スポルティング・リスボン/FCポルトの御三家なのだが、ちょうどこれは日本でいう巨人・阪神・中日の関係にあたり(たしかにこの例えは分かりやすい。ポルトの愛称もドラゴンズだと武田は書いていた)、しかも巨人にあたるベンフィカの陸上部にはモタのライバル アウロラ・クーニャがいて、モタはポルト上層部の厳命で走りたくもないレースをさんざん走らされた……。
記憶が定かではないので、アウロラ・クーニャのくだりは少し違っているかもしれない。ともかく「地域に根ざした総合クラブ」の実例としてFCポルトとモタの関係がどこかで書いてないかと探したら、六川亨氏の文章が見つかった。しかしながら奇麗事だけではすまない、一筋縄ではいかない世界があるらしいのである。
トヨタカップの会場として「無風地帯」である日本が選ばれた――というのも魅力的な邪推ではある。ただ、牛木素吉郎氏のトヨタカップ・シンポジウムで聞いた話では、南米でやるとペソだのクルゼイロだのといった通貨でギャラを払わなければならないので納得しない、という理由もインターコンチネンタルカップ存続の危機の原因だったらしい。だから南米第3国では出来ないし、欧州第3国だけでは不公平になるのだ。そして今や日本は「無風地帯」ではない。
あえて、憎まれ口を叩く。
いまや、ワールドカップには、日本から大勢の協会関係者と報道陣が押しかける。一体何を見てきたのか、と。
……と、こんな啖呵の切り方が当時としてはカッコヨク思えたのだった。まだまだ光が見えない時代だったから。でも、言葉を返すようだが、この間Jリーグへの微かな胎動があったことは多くの書に記すところである。
では野球はどうだったのか?
この人に少しだけ好意的だった理由のひとつは、第一に反サッカーでも時折ではあるが、Jリーグ礼賛・川淵礼賛の玉木正之なんかよりマシな鋭い指摘をしていたからでもある。もうひとつは玉木やロバート・ホワイティングのような人物に、一定の批判的なスタンスをとっていたからだ。この2人が流行らせた「野球とベースボールは……」式の話はサッカーにも悪い影響を与えている。だいたい違う国同士で野球で話が通じる関係じたい世界的には希少なのに……。
しかるにワールド・ベースボール・クラシック(WBC)とは何なのか? なぜ野球は21世紀にいたるまでナショナルチームの国際試合・選手権がなかったのか? なぜレギュラーシーズン前の3月にやるのか? なぜ大リーグ主導なのか? 国際試合の充分な経験もなしに野球版W杯なんかやって混乱しないのか? ……etc
武田は、玉木やホワイティングへの当て付けだけで、この方面への掘り下げをやらなかった。サッカーへの誹謗中傷より、やることが沢山あっただろう。一体野球ジャーナリズムは何をしてきたのか、と。
〔2005/12/29〕 〔2006/10/15 修正・追記〕
〔さらに追記:2007/11/03〕 オフト麾下、日本代表が始めてアジアカップを制したときに、講談社の月刊誌『現代』で、ハンス・オフト監督にインタビューしていたのも武田薫だった。
スポーツライターの劣化について
2006年の2月のある日、アクセス解析を見たら訪問者がやたらに多い。キーワード「武田薫」で検索して来る人がほとんどだった。
フジテレビのサイトで、また何か変なことを書いていたのかと思ったらやっぱり……。
《夜はトリノ・オリンピックを観た。〔略…〕スリリングで興奮するが、不満はNHKである。カーリングを延々と流している神経はどうしたのか。ジャパン・コンソーシアムはシドニーから5大会で総額632億円の放映権料をIOCに払い、その70%がNHKの負担だ。カーリングを見るために、そんな大金を払ったのか? メダルを見たいために放映しているのか? 昔のNHK運動部はもう少し主張があった。公共放送、せめて〔…〕》
トリノ五輪カーリング女子日本代表のカナダ戦・イギリス戦を無理矢理サッカーにたとえると東京五輪の対アルゼンチン戦かもしれない。多くの人がカーリングの面白さを知り始めた時に浴びせた冷や水……。
国会図書館の雑誌記事目録というのを見ると、ほとんど学術誌とか紀要が多い。大宅文庫とは目的が違うのだろう。私たちがふつうに「雑誌」としてイメージできるもののうち、ここに出てくるのは『文藝春秋』とか岩波の『世界』といった硬い雑誌である。その中に今は亡き『朝日ジャーナル』もあった。
その国会図書館のWebを開いて「武田薫」で雑誌記事検索をかけてみよう。武田は『朝日ジャーナル』でスポーツノンフィクションの連載を持っていた。様々な分野のアスリートを1人2週にわたって扱う。中山竹道・松岡修造・元木大介(!)・水島武蔵・風間八宏・岡本綾子・小川直也(!)らに混じって、どういうわけかリタイアしたオジサン・オバサンたちのゲートボールを取り上げていた。
スケートリンクはそれなりの寒さに保たれているはずだが、カーリング女子日本代表の選手たちは途中から半袖になっていた。ゲートボールよりはカロリーを消費するだろう。『朝日新聞』のもっともアサヒシンブン的な旧『朝日ジャーナル』でゲートボールを書いていたスポーツライターが、NHKの五輪カーリング中継を非難するのもおかしな話である。
私的な好き嫌いをスポーツとしての公の価値であるかのように押し付けるのは、武田が批判してきた玉木正之と変わらない(玉木センセイもプロ野球の応援団を否定するなら、英国・欧州サッカーのサポーターも批判するべきでしょう。スタンドでチャント歌いだしたのはそんな昔からではないし、今では欧州サッカーでも鳴り物応援しているし……)。
それから「思うに、日本人は面と向かって〔…〕のではないか?」というのにもガッカリする。ことわっておくと、これは金子達仁の専売特許ではない。日本のスポーツジャーナリズムの宿痾である。『朝ジャ』時代の武田はまだこういうのからは距離を置いていたはずなのに。
以って瞑すべし。
〔2006/02/20〕 〔2006/10/15 修正・追記〕