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宮崎雄司 「川淵三郎会長の愛称 "キャプテン" について」  珍日本サッカー書誌学

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川淵新会長の愛称

(『サッカーマニア』第26号=2002年11月25日号より転載)

宮崎 雄司

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《解説》
 これから紹介するのはオフィス・アステカ発行のミニコミ誌『サッカーマニア』第26号(2002年11月25日号)に掲載された、宮崎雄司編集長の「川淵新会長の愛称」である(バックナンバーの購読、国会図書館での閲覧、いずれも可)。

『サッカーマニア』26号表紙
『サッカーマニア』26号表紙
 サッカーファンの皆さんには思い出していただきたい。時事・共同のような通信社、NHKのような公共放送などを除くほとんどのマスコミが安易に追随したため、定着し、使われてはいる。だが、川淵三郎氏が財団法人日本サッカー協会会長の座に着き、自らの肩書きを「会長」ではなくて「キャプテン」の愛称で呼んで欲しいとして、周囲にこれを公表・要望した時は大変な違和感を感じたはずだ。
 宮崎氏も、このことについて書いているのだが、あくまで川淵氏一流の稚気あるいは愚童心をオチョくって、シャレとしてネタとして冗談としてこれを書いたのだった。ところが、果たして4年たってみて、現在の川淵会長と日本サッカー界の情況が全然シャレになっていないという、さぁ、まさに、シュールな光景が現出しているのであります。
 掲載号は既にバックナンバーになっているので、宮崎氏の許可を得た上でインターネットに転載いたします。なお、段落ごとの行間の設定、語句の強調、リンク、注釈、図版の挿入およびキャプションは、読解の便を図るために当サイトで処置したものです。
「珍日本サッカー書誌学」宇部政良(2006/07/02)
  写真ネタ専用アンカー

 すでに承知の通り、日本協会会長にJリーグ前チェアマンの川淵氏が就任した。

 川淵氏は就任にあたり「愛称」を募集し、今後は国内的には「会長」ではなく、新しい愛称で呼んでもらいたい意向であるという。大きな理由として、皆に親しみをもってもらうという希望があるといわれている。

 この発想には、おそらく多くのサッカー関係者やサポーターが違和感を持ったのではなかろうか?

 Jリーグの『チェアマン』という名称は本格的なプロサッカーの誕生に伴う、既成のプロスポーツとは異なる新鮮さと若々しさに連動したものとして、各方面で評判を呼び、かなりの好評を得たのだが、日本協会の会長に「愛称」という発想は相当無理があるように思う。

 なぜならば、会長というポジションは、その国のサッカー界の頂点に立つ人物であり、「総務主事」や「専務理事」よりも名誉や権威を持つ。相応の風格や威厳があってしかるべきではないか。なぜ、ここで新たな愛称が必要なのかという疑問を感じざるを得ないのが正直な意見である。

 皆に親しみを持って呼んでもらいたいという『必要性』があるのだろうか?

 これは川淵氏が会長として、これからどのような行動をとり、周囲(特にマスメディア)と接していくか、といった点と深く関わっていくと考えられる。

 実務は『専務理事』とか『事務局長』などのポジションに居る人〔注〕に任せておいて、会長は相応の仕事に専念するべきであり、Jリーグチェアマン当時のように、全てにおいて自分が全面に出て行く必要は無い。
〔注:ジーコと並ぶ川淵会長の二大人事が、辣腕の元通産省官僚として鳴り物入りで招聘された専務理事・平田竹男氏だった(いかにも川淵氏らしくジェネラルセクレタリー=GSなどと呼んでいた)。ところが、日本代表の国際試合のマッチメークでドタキャンされるわ、対戦国ナショナルチームにろくなメンバーが揃わないわで、サッパリ使い物にならず、ある時期からマスコミにも出てこなくなった。まだ日本サッカー協会に籍はあるらしいが、いくつかの状況証拠からして(その1 その2)協会内で干されてしまったらしい。つまり川淵人事は、どちらも大失敗だったのである〕

 例えば、何かにつけてメディアの日の当たる場所に出て目立ち脚光を浴びたいという思惑を持ち、一般大衆に注目され親しみを持たれて、《人気者》の地位を保持したいという願望の極端に強い人物ならば、初めから『愛称』をつけて過去の同一の地位や他の同業者との違いをことさら強調したいと考えられる。

 日本サッカー協会会長と言う要職にありながら、皆に親しみを持って呼んでもらえる愛称と言うのは、本来、サポーターやマスコミ関係者から、その個人の人間性や人柄と、そして実績を評価されて、愛されることによって自然発生的に生まれるのが好ましい。そして気がついたら、皆が当然のように愛称で呼ぶようになり、全く違和感を持たない。というのが理想的だ。

 Jリーグ誕生の際、各クラブが愛称を公募して、なんだか意味のわからない「造語」の名称をつけられたのと共通のものを感じる〔注〕のである。「FC東京」のように、愛称はこれからサポーターの間から生まれてきた場合に限り付ければ良いというのが、本来有るべき姿である。
〔注:モンテディオとか、ベガルタとか、コンサドーレとか、カマタマーレ讃岐(!)とか。企業名を排除するという美名に酔って、こういうのを繰り返しているうちに川淵氏も言語感覚が麻痺してしまったのか?〕

 従って、会長に初めから愛称をつける必要は無い。自然発生的に生まれたならば、そのときに初めて公の立場でも、それを使えばよいし、その方が『愛されている』事の証明になるのだ。

 私なりに考えてみたのだが、何点か候補を挙げたい。


1.『総統』


 ドイツのスポーツシューレを観たのがJリーグ百年構想の切っ掛けになった〔注〕のなら、ここはやはりドイツを参考にするべきで、『川淵総統』なる愛称は、最も相応しいのではないだろうか。例えば国際試合の時等に、ロイヤルボックスに「川淵総統」が登場したら、スタジアムの全員が『ジーク』と言って右手を斜め前に挙げて迎えるという儀式を行なうのである。
〔注:「百年構想」の原点ならば特に問題はないだろうが、NHK「プロジェクトX」や平塚晶人著・小学館刊『空っぽのスタジアムからの挑戦』で周知のように、本当のJリーグの原点は、森健兒氏・木之本興三氏(古河電工)・佐藤英男氏(読売クラブ)・佐々木一樹氏(日産自動車)ら、当時の日本サッカーリーグの裏方たちの茶飲み話の会である〕
 海外のマスコミ、特にフランスやユダヤ人から抗議や疑問を投げられたら、『我が親愛なる川淵総統閣下』に勝利を祈り忠誠心を示しただけだ。文句を言われる筋合いは無いと開き直ればいいのだ。

 それに、これなら高校選手権の開会式で堂々とナチス式の敬礼が出来るというメリットがある。

 日本サッカーの非常事態の時(例えば、連合軍のノルマンディー上陸作戦のような)『今、総統は就床中なので起こしてはいけない』といって、対応が遅れてしまい事態が悪化してしまうという危険性があるのが難点か。

 それに、日本サッカーの方向性を占星術で占ってもらうようになるかもしれないのも不安だし、周囲をイエスマンで固めてしまい、戦況が的確に判断できなくなる可能性もある。

 従って残念だがこれは実現不可能だ。


2.『将軍様』


 これなんか実に面白い、例えば勝利インタビューでは『この勝利は川淵将軍様のおかげです』『あのゴールは川淵将軍様に捧げます』なんて涙ぐんで答える。

   『Jリーグが成功したのも』

   『サッカーが一般大衆レベルで認知されるようになったのも』

   『芝生の上でサッカーが出来るようになったのも』

 全て偉大なる「川淵将軍様」のおかげです
〔注〕、という事になる。
〔注:NHK教育テレビのテキストを読む限り、川淵氏は木之本興三氏らの功績を無きものにして手柄を独り占めにしたいのではないかと邪推させるところがある〕

 そしてスタジアムやキャンプ地、その他サッカー関連施設には、『川淵将軍様』の銅像や記念碑が立ち並び、その前には土下座したり手を合わせて感動して涙に咽ぶサッカー選手や指導者やサポーターの姿が日常茶飯事という、誠にありがたい光景を目にすることも出来るようになるかもしれない。

 しかしこれもまた、何処かの異常な国と同様、世界と異なるスタンダードで孤立する危険性があるので採用不可である。


3.『ナベツネ』


 『川淵ナベツネ』二人に共通の項目があるかどうか私は全く知らないが〔注〕、これでは愛称ではなく人の名前みたいだし、そもそも

   【独裁者】!!!!

 ……と呼ばれた宿敵ナベツネと、くっ付けられたのでは、川淵氏も不愉快であろうと思われるので、これは絶対に使えないし、ご本人に失礼だと思う。
〔注:ナベツネこと渡邉恒雄(渡辺恒雄)氏とはすっかり好一対の関係になってしまった。ナベツネを批判するために川淵氏に寄り添っていた自称日本初のスポーツライター氏(その1 その2)も、昨今は歯切れが悪いのも滑稽である。途中でジーコに見切りをつけて更迭し、もっとましな監督を連れてきてこそ「マキャベリズム」だと思うのだが〕


4.『大統領』


 これには条件がある。韓国の大統領選挙で【W杯の破壊者として、また売名行為に利用した事で有名なチョン・モンジュン】〔注〕が、めでたく落選した暁にはぜひ採用してもらいたい。AFCの公式行事やその他、サッカーのビッグイベント等で、ご両人が同席した際には、日本からの報道陣皆で、「チョン・モンジュン」の居る前で、あてつけがましく川淵氏を『大統領』と連呼するのである。いぶかしげな態度を示されたら、川淵氏も『私の愛称です。日本では皆から、そう呼ばれてます。これからは貴方も親しみを込める意味で私を大統領と呼んでください』とチョン・モンジュンに説明すればよい。
〔注:この当時は、韓国FAのチョン・モンジュン会長への憤懣の方が強かったのでした。よもや川淵氏がサッカーファンの憤懣の対象になろうとは……〕

 従って、愛称は韓国大統領選挙が終わるまで正式に結論を出すのを遅らせるべきであったのではないか。


○ キャプテン


 決定された、この名称は紛らわしい。実際の代表チームのキャプテン(主将)と混同する事も出てくるし、第一に、一国の協会の会長をキャプテンという愛称で呼ぶのは不自然ではなかろうか。例えば『ストイコビッチ』ならば、その現役時代の華麗なプレーと若い会長という事で、この愛称も違和感も多少は薄らぐが、失礼とは思うが、川淵氏の65歳という年齢〔就任当時〕と、サッカー界の幹部としての長期間に及ぶ関わりを考慮すれば、無理があると思う。

 例えば、ジュビロ磐田の「中山」が今年で現役を引退して、来年から協会の会長に就任するというケースならば、あのキャラクターの下で『キャプテン』という愛称でサッカー界の先頭にたって引っ張って行くという意味合いで、周囲から好感を持って受け入られるかも知れない。その程度が許容範囲なのである。

 そこで「キャプテン」の解釈として、主将ではなく『船長』や『艦長』と解釈してみたらどうだろうか。

 この場合、船長である以上、ジーコ丸が沈没する時は『川淵キャプテン』は運命を共にしなければいけない。司令官を任命する時には発言権があるが、船が沈んでいく時に、ジーコ司令官や日の丸戦士という乗組員が覚悟を決めても、自分は責任を取らずに船から『すたこらさっさと』逃げ出すでは、筋が通らないのである。

 戦争映画の傑作『プライベート・ライアン』を観た人は気がついただろうが、日本語吹き替え版や字幕ではなく、英語の原版では『トム・ハンクス』扮する『ミラー大尉』の事を、部下達は、単に『キャプテン』と呼んでいた。アメリカ陸軍では「キャプテン」とは『大尉』の階級のこと〔注〕なのである。65歳のサッカー協会会長が「大尉」では不満足である。
〔注:海軍では、英語の「キャプテン captain」は「大佐」の意味で文字通り「艦長」を担う階級である。何度となく映像化された戦艦大和モノでは、轟沈にあたり艦橋の羅針儀に身を縛り艦と運命をともにした艦長=有賀幸作大佐の悲愴なシーンが有名である。なのに我が艦長殿ときたら「自分は責任を取らずに船から『すたこらさっさと』逃げ出」してしまったのである。また「会長」の英語表記は「プレジデント President」であり、「大統領」の意味でもある。アメリカ大統領は軍の「最高司令官 the commander in chief」。いずれにしろ、一国のFA会長の呼称としては軽すぎるのだ〕


○ 問題発言


 川淵チェアマンというと、『判りやすい敵 ナベツネ』に敢然と立ち向かい読売グループの野望に屈しなかった正義の人であり、親しみやすい庶民派、というイメージが世間一般には浸透しているが、今回、ジーコ監督選任の一連の言動で、大きなイメージダウンになったと認識するべきである。それはジーコが監督としてダメだと言う事ではないのだ。

 『監督選定の際の発言権を会長として当然の権利として要求し、自分の発言が大きく影響したジーコで失敗しても、絶対に責任は取らない』という趣旨の発言が問題視されている〔注〕のである。世間一般の人たちは『あの川淵さんの口から出たとは到底信じられない傲慢な発言』という思いを抱いてる。大きなイメージダウンになった可能性が極めて強いのである。
〔注:まさに2006年時点の日本サッカー界に生じている問題である〕

 自らの強弁で自分自身の名誉を汚しているのだ。早くその事に気がついてもらいたい。

 例えば、マスコミから責任問題に関しての質問を受けたら、『関係者全員の総意で決めたのだから、もし失敗したら、そのときに改めて全員の去就を検討する』とか『ジーコでダメだったら、私の去就は理事会の判断に任せます』と言っておいて、これから理事会のメンバーを自分の息の掛かった人間で固めてしまい、理事会の権限で会長留任に持ち込むという方法もある。そもそもライバル候補が追いつけない、あるいは存在しないほどの実力者ならば、いざとなったら、いくらでも延命工作が可能ではないか。こんな時に世間一般にマイナスイメージをあたえてしまう発言などするべきではなかったのである。

 この愛称採用が川渕氏の個人的なアイデアなのか、それともどこかの広告代理店のアイデアなのか知らないが、その前にあの発言の訂正をするべきではないだろうか。

 初代Jリーグチェアマンとして、サッカーファン以外の一般大衆やマスコミ関係者からまでも、すでに現在の時点で充分すぎるほどに『親しみと好感』を持って受け入られている存在なのに、なぜ今更、改まって愛称が必要なのだろう。〔注〕
〔注:ヒューラー(総統)=ヒトラー、ドゥーチェ(統領)=ムッソリーニ、ヘネラリシモ(総統)=フランコなど、独特の呼称にこだわる人は多い〕

 そして中世国家の王様のように決定権を強引に行使するが、悪い結果には無責任。

   筋が通らない。

   道理が通じない。

 多数決や話し合いという民主主義のルールに基づいての人選ではなく、トップに立つ人物の「ツルの一声」で決定してしまうが、その結果が失敗に終わったとしても、決定的な影響力を行使した最高権力者は一切の責任を取らないでは、これは民主主義の世界で容認される行動ではない。

 このような行動が実行出来る社会は一つしかない。それは何か?

『独裁者が支配する独裁国家』

 ……だけなのである。そして重要な共通点として、彼ら独裁者も、また国家も、いずれも悲惨な末路を辿ったのは歴史が証明しているのである。
それに引きずられた民衆もまた巻き添えになり不幸な運命が待ち構えているのだ。

川淵さんと地球儀 チャップリンと地球儀
奇妙なる符号の一致(クリックすると拡大します)

 実は、この発言と愛称の問題が、この先どのような波紋を投げるかを予想すれば、キャプテンと言う呼び方を採用するに至る理由に説得力が貧しいのは明らかでキャプテンを主将と解釈するなら、その必要性に大きな疑問符が付くのである。

 更に加えて、『ジーコで失敗しても責任は取らない』という発言は、『個人の権利と責任』『話し合い』『多数決と少数意見の尊重』等、民主主義的な社会を構成する要素の否定的な態度と思われるかもしれない。

 サッカーというスポーツを通して、人間として生きていく上での基本的なルールを学び、個と集団との関係や他人との関わり方を育む事が出来る。今回の川淵発言を、この国の未来を担う子供達に、どうやって説明し納得させれば良いのだろうか?

 川淵会長は、チェアマン時代には『正義の人』『庶民的で親近感がある人』というイメージを一般大衆は持っていたのが、『サッカー界のナベツネ』などというイメージを持たれてしまうような事があったら、『サッカーを愛する仲間として』それは非常に残念で不愉快なことである。

独裁者の哀れな末路 ムッソリーニ
独裁者の哀れな末路 サッカー大国イタリアの「統領」ムッソリーニ(写真中央)
怒れる「ポポロ・ディタリア」(イタリア人民)によって
右隣の愛人らとともに撲殺された後、逆さ吊りにされた

(了)



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