珍日本サッカー書誌学
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2006年、ドイツ・ワールドカップにおける日本代表の結果は非常に残念なものでした。
単に敗れた悔しさ以上に、日本サッカーが本来の持てる力を十分に発揮できないまま終わってしまったのではないか……。そんな「もどかしさ」「わだかまり」を、かなりのサッカーファンが感じられたのではないでしょうか。
サッカーマスコミでは"ジーコ・ジャパン"(ジーコ日本代表)のドイツW杯を検証・総括するという趣旨の特集がいくつか発表されました。しかしながら、その「もどかしさ」や「わだかまり」に応えてくれたところがどれだけあったでしょうか?
それが無かったとすれば、ひとつ重大な問題がまったく採り上げられず、素通り(スルー)されているからでは、ありますまいか。
366 : :2006/06/13(火) 22:48:45 ID:hiaCHhWT0
自由、創造性云々の論争は誰か総括して欲しいよなw
367 : :2006/06/13(火) 22:55:59 ID:74FxUE2K0
>>366
全面同意。団体競技だったら誰かの自由は誰かの不自由なのにな(これ言ったの
宇都宮だったけか?)。サッカーもONE FOR ALL、ALL FOR ONEって標語で
2010年目指した方がいいんじゃない?
日本代表監督としてジーコはがやっていることは色々と怪しさに満ちてました。中でも一番の議論の的となり、サッカーファンを不安がらせたのは、ジーコが自ら実現したいサッカーの方向性を具体的に示すこと――それを「戦術」でも「組織」でも「約束事」と何と読んでもいいが――を一切しなかったことです。
そして、これには実に侮りがたい熱心な擁護論、非常に熱心な擁護派の発言者が存在し、ジーコの"手法"は正当化されました。それはどれも、どの論者も基本的なパターンが決まっていて、おおよそ以下のようなものでした。
これまで日本のサッカー、特にトルシエの日本代表は「組織」や「戦術」に頼ったサッカーをしてきた。それは日本人の特質に適うものだった。だが、本質的にサッカーとは個人の「自由」な判断と「創造性」によってプレーされるスポーツである。このままで日本のサッカーは壁にぶち当たる。だからジーコは、日本のサッカーを本当に強くするために細かい戦術の指示を与えよう組織を固めようとはしないのだ。
この論理を奉じてジーコ擁護・支持にまわったサッカーライター・スポーツライター……中小路徹・増島みどり・永井洋一(その1 その2 その3/余談だが一部で平尾ジャパン≒ジーコ日本代表となぞらえられている)・佐山一郎・西部謙司(いわゆる「ジーコ=セレクター論」)・金子達仁・戸塚啓・林信吾・葛岡智恭・玉木正之(その1 その2 その3)・海老沢泰久(その1 その2 その3)・田崎健太・沢木耕太郎・二宮清純・木村剛(経営金融コンサルタント・日本サッカー協会裁定委員)・岡崎満義(『ナンバー』初代編集長)・杉山茂(元NHKスポーツプロデューサー/その1 その2)・石川雅彦(朝日新聞)……といった人たち、大住良之も一時期ジーコ支持派にまわっていました(これはショックだった)。筆者未読ですが小阪大(毎日新聞)や飯塚健司という人も熱心な擁護派だったらしいし、意味を広くとれば、潮智史(朝日新聞)・榊輝朗(産経新聞)・武智幸徳(日本経済新聞)といった人も入るでしょう。
何よりジーコ擁護論があったからこそ、"独裁者"と化した川淵会長は自らの正当性をゴリ押しすることができたのです。
画像をクリックすると詳細な解説(PDFファイル)
川淵会長 ジーコ支持論 その1
川淵会長 ジーコ支持論 その2
「スポーツ界変える転換点に 川淵会長が日本代表を激励」
川淵会長 ジーコ支持論 その3
どうして誰も彼もが「個」か「組織」か、「自由」か「戦術」か……という議論(「二元論」とも言われました)に巻き込まれるのか? ジーコが言い出したのではありません。「日本サッカーの文脈」に昔から(少なくとも'80年代から)あるものです。
遺憾ながら、既存のサッカージャーナリズム・スポーツマスコミに「自由、創造性云々の論争」の「総括」など出来ません。彼らは、自分たちがどのような枠組(パラダイム)でサッカーを見て、サッカーを論じているのかを客観的に捉えることが出来ないからです。
それでは、社会科学や人文科学からスポーツを究めるアカデミズム(学界)はどうかというと、これまた心もとない。旧『サッカー批評』で連載を持っていた今福龍太(文化人類学者/この方の文学青年のタワ事を見ると本当にイライラする。おまけ狐憑き見たいな中田礼賛書くし……)のように、「ジーコは勝利よりも"愛"を求めている」(『アエラ』2004年6月7日号/下のプレビュー版参照)とか何とか宣まって、かえってこういう風潮を煽ってしまう御仁がいて、問題の混迷に拍車をかけてしまう有様です。
「自由、創造性云々の論争」にどこまで迫れたか、どこまで「総括」できたか、自信はありませんが、「自由、創造性云々の論争」をいぶかしく思うサッカーファンの皆様へ、モノを考えるきっかけ、議論の叩き台になれそうな代物を、ミニコミ誌『サッカーマニア』29号にて準備いたしました。
『サッカーマニア』29号の目次はこちら
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ご笑覧いただけれ幸甚であります。 〔2007/07/08〕
之政宇
印良部
中田英寿の父親(追加修正版)
その昔、川上源太郎という学者の書いた『親の顔が見たい』というベストセラーがあった。
その伝で言えば、中田英寿などという、およそ人間性に欠陥がある人間が如何にして形成されたのか、親の顔が見たいものである。
中田英寿の父親は、中田邦彦という。『週刊宝石』の1997年12月25日号と1998年6月18日の取材に応じている。顔(写真)は出てこないが、おそらくこれが唯一のマスコミ登場だと思う。
「中田英寿の父が初激白 無愛想を装うわが息子の真実」
(『週刊宝石』1997年12月25日号)
「中田英寿の『最新語録』を父・邦彦氏が読む!」
(『週刊宝石』1998年6月18日号掲載)
PDFファイルで0・9MBもあるのでちょっと重い
内容としては、中田が日本代表が1997年日本代表にデビューしてから翌年のフランスW杯までに流行った、中田の諸発言(「語録」などと呼ばれた)にたぶらかされた、典型的な中田ヨイショ記事である。
その内容は中身を読んでいただきたいが、父・中田邦彦が自分の息子のことを「英寿」と呼ばずに「ヒデにとって……」とか「ヒデは……」と呼んでいるのが気になる。
この「ヒデ」というのは、中田英寿に思い入れのある信者が使う馴れ馴れしい呼び方である。これを実の父親が使っているのだ。
およそ、自分の子を「外部」に向かって語っている感じがしない。
なるほど中田英寿の父親とは、こんな人なのだ。
ちなみに、中田英寿のようなタイプのアスリートは彼が初めてではない。ある部分は江川卓であり、落合博満であり、醜聞で権威が失墜する前の桑田真澄だった。サッカーと近隣の競技にもそういうタイプがいた(藤島大ならピンと来るかも)。
これらを徹底的に集約させて商品化したのが「中田英寿」である。
しかも、これである。
「W杯予選では〔引用者注:中田英寿の〕「パスミス」をさかんに報じられましたが、あれはヒデのミスではない。といって味方のミスでもない。言うなれば、読みの差。イマジネーションの世界なんです。将棋の世界と同じで、一手先しか読めない人に、二手先のパスを出しても、それはミスのなるだけです。「これは一生つきまとうな。感覚の違いだから」〔引用者注:中田英寿のコメント〕と言って悩んでましたね。(『週刊宝石』1997年12月25日号より)
世間向けにはもう少し謙虚になってもいい実の親からこんな提灯コメント記事ばかりだったから(いっとくが「世間」といっても、近ごろ流行りの「世間論」の世間ではない)、かえって中田英寿もサッカー選手として伸び悩んだ。にも拘らず権威権力だけは肥大化した。それが日本ダッカーの悲劇を招来した。
そして、本人は「自省」という感覚をついに呼び起こすことがなく、三十路近くにもなって未だに「自分探し」などやっている。
〔2006/12/30/2007年7月7日追加〕
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「日本人=農耕民族と手の文化とサッカー」「旧日本軍=失敗の本質とサッカー」の話は、リライトして後日発表するつもりです。
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昔の野球 は 今のサッカー以前、山本昌邦の「ピッチにはアテネ(五輪)行きの切符が落ちている」発言は、かつての旧・南海ホークス監督・鶴岡一人の「グラウンドには銭が落ちている」に似ている、本田泰人のビール缶投げ込み事件はこれまた戦前の東京六大学野球リーグ全盛時の「水原茂リンゴ事件」に似ている……と書いた。
最近は、鶴岡一人も水原茂も知らないくせにスポーツライターになりたがる若造が多いらしい。鶴岡一人は一時期「山本」姓を名乗っていたから、あの「ピッチ(グラウンド)には○○が落ちている」発言は山本つながりだとも知らない連中が、あるいは水原茂と水原弘の区別がつかない輩がスポーツライターを志望するのである。
そんな人たちも、審判が下した判定の抗議に対して「俺がルールブックだ!」と毅然とした態度をとった野球の審判(アンパイア)の話はどこかで耳にしたことはあるだろう。この審判の名を二出川延明という。野球殿堂にも入っている名審判である(余談だが、この文章は2005年のJリーグ開幕日の翌日に書いている。あと、サッカーでも「名誉の殿堂」を始めるそうだが大丈夫だろうか?)。
「俺がルールブックだ!」の一件は、少し話が込み入っているので他に説明をゆだねる。この二出川審判の娘が、高千穂ひずるという映画女優であった……。
……と、ここで、またまた「昔の野球、現在のサッカー」という図式が出来上がるではないか!
父親の長澤監督が熱血漢でよく退場になり、それを見ていた娘はサッカーが嫌いになったという話が流布している。だが、倉本聰の脚本に意見したり、相手役の目つきが怖いなどと記者会見でハッキリ言うあたりは父親譲りと言えなくもない。
長澤まさみは、東宝のオーディション出身で、東宝芸能の所属。沢口靖子・古手川祐子(移籍したらしいが)・水野真紀といったここの所属女優を見てみると、非常にオーソドックスなタイプである(将来、カネボウ化粧品のCMに出るのか?)
高千穂ひずるも、名前で何となく分かるが宝塚出身で、東映時代劇のお姫様女優だったそうである。これも似ている。少なくともぶっきらぼうに振る舞って"自然体"などと呼ばせる女優とは対極である(そういう感じの人と映画の「セカチュー」で共演してたと思う)。この人が、テレビで月光仮面を演じていた大瀬康一と結婚して引退していたとは、この件で調べて初めて分かった。
長澤まさみも、悪い意味であの世界の色には染まらないでください。
〔2005/03/06〕
〔解説はこちらをクリック〕 武田薫といえば、野球防衛軍の佐官級将校という位置付けの人物で、実際に偏執的な野球擁護と反サッカー発言を繰り返してきた。この人がサッカーを書いていたことがある(!?)といったら驚くだろうか。サッカー専門誌『イレブン』の掲載記事と、フジテレビのサイトから干される原因となった『考えて欲しいNHKのカーリング』もあわせて公開。〔2006/10/15〕
川淵三郎氏がJFA会長の座に着き、自らを「会長」ではなくて「キャプテン」の愛称で呼んで欲しいとして周囲にこれを公表・要望した時に、ミニコミ誌『サッカーマニア』第26号(2002年11月25日号)に、宮崎雄司編集長が書いた「川淵新会長の愛称」を転載します。あくまで川淵氏の稚気あるいは愚童心をオチョくって、シャレとしてネタとして冗談としてこれを書いたのでしたが、果たして4年たってみて、現在の川淵会長と日本サッカー界の情況が全然シャレになっていないのであります。〔2006/07/02〕
文春のスポーツ誌『ナンバー』がサッカーとどう関わってきたか……という本題に入る前に、(2005/10/23 しばらく凍結)『アエラ』と『ナンバー』両誌で繰り広げられた斎藤美奈子vs金子達仁のカリスマ同士の"論争"について。この件に限っては金子サンを少しだけ擁護します。 〔2004/10/10〕
『ナンバー』と金子達仁をバッサリ斬り捨てて喝采を浴びたフェミニスト斎藤美奈子が隠蔽した事実と何か? その真意は……。そして金子達仁が有効に反撃できなかった理由は何なのか。 〔2004/10/10〕
斎藤美奈子が「文学コンプレックス」だといいながら、誰が書いた記事なのか明らかにされない3篇の『ナンバー』ノンフィクションの執筆者を調べ、増補版としました。 〔2004/12/09〕
中田英寿のケータイ電話のポスターを見かけた。が、……このポスターがどうにも奇妙なのだ。D.ベッカムとM.シューマッハの2人に挟まれて、なぜ日本人の中田だけがローマ字で"NAKATA"なのか? 〔2004/08/31〕
スターダムに押し上げた「アトランタ五輪」以前に、金子達仁の名をサッカーファンに刻みつけたのが、1993年、ドーハの悲劇の際にオフト日本代表に投げかけた、一連の「厳しい批判」だったとされる。その「カタール戦記」をあらためて読み直すと……。 〔2004/08/31〕
金子達仁がドーハの悲劇で展開した「厳しい批判」とは、本当に妥当なのだろうか? 予断と偏見にみちた曲解ではないのか? 結局のところ、多くのサッカーファンがカネコタツヒトに共鳴してしまったのではなかったか? 〔2004/08/31〕
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