珍日本サッカー書誌学
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後藤健生氏の不様な言行不一致ぶりをあげつらう!《〔…〕注意しておかなければならないのは、だからと言って文化論に逃げてはいけないということ。文化論とか日本人論をやったあげくに「だから日本のフォワードは……」なんて。あれは違うよ。サッカーのことはサッカーで決まるんだ。安直に文化論で片付けてしまうのはよくないと思う。》こんな殊勝なことをフリーライター(サッカーライター)・川端康生氏に話していたのは、宮崎編集長の長年の同志でもある後藤健生氏である(対談「サッカーをどう書き、どう編み、どう伝えるか」『季刊サッカー批評』'04年2月第22号)。
新型インフルエンザ問題の煽りで、サッカー女子日本代表がアメリカ・カナダ遠征を中止してしまった。大切な強化試合、現場として何とか遠征を実現したかったらしいのだが、犬飼基昭会長が理事会に諮ることもなく勝手に遠征中止を決め、かつ公言してしまったのだそうだ。
この犬飼会長の独断専行を知ったのは、Jスポーツの後藤健生氏の連載コラム、5月14日付「〈なでしこ〉の北米遠征が中止に/新型インフルエンザの今後の影響やいかに?」だった。
聞き捨てならない犬飼会長の話を明らかにした後藤氏のコラムに、聞き捨てならない箇所を発見してしまったのである。
《こういう日本社会の臆病さが、ゴール前でシュートを打たないFWを生み出すのか、型破りの選手を育てることよりも高円宮杯で優勝することを目指すコーチを生み出すのか……。いやいや、これは余計なことだった……ついつい指先が滑ってしまった。》これは……。後藤氏が常々批判してきた「サッカー文化論」ではないのか。ではないのか……ではなく、ハッキリと、これはサッカー文化論である。
典型的な「文化論とか日本人論をやったあげくに〈だから日本のフォワードは……〉」ではないか!
安直に文化論に逃げているのではないか!
本当に「余計なこと」である。蛇足である。
これに比べれば、ジェフ千葉のことを「ゴミみたいなチーム」と発言したことなど小さな問題である。後藤氏はもともと古河電工(ジェフ千葉の前身)の熱烈なサポーターだった。暴言だらけのセルジオ越後に「日本サッカーへの愛情がある」(?)として許容されるなら、"偉大な先輩"たる後藤氏の「ゴミ発言」も許容されるべきだ。
後藤氏の抗議したジェフ千葉のサポーターって、本当にゴミ屑みたいな連中である。
サッカー文化論を批判していたはずの後藤氏の「指先」が、どうして「ついつい」「滑ってしま」うのか? 「〜を生み出すのか……と、金子達仁なら書くだろう」と厭味っぽく書いて当て付ければいいではないか(この人には、こういう意地の悪さがあったはず)。後藤氏はサッカー文化論的な思考を克服したのではなかったのか? フローラン・ダバディや永井洋一や川端康生らに訳知り顔で語ったサッカー文化論批判の言葉は何だったのか?
早い話、後藤氏の「指先」が「ついつい」「滑ってしま」うのは本音なのである。この人のサッカー文化論批判はうわべだけの知的ファッションで、そうした思考を根っこの部分で捨て切れていないのだ(少しフォローするとサッカーマスコミのほとんどは知的ファッション以前なのである)。
だから、時々思い出したかのように、こんなサッカー文化論を繰り出してくる。
しかし、これでは『報知新聞』2008年7月17日のインタビューで「何でストライカーが育たないんですか、とよく聞かれるが、日本社会の象徴、と答えるしかない」「日本の減点主義社会の延長線上にサッカーもある。それは意識の中に絶対ある」などと得意気にヌカしていた犬飼会長と変わりがない。
同じ穴の狢同士、目糞鼻糞を嗤う滑稽で悲しい図式がそこにある。
この問題に関しては犬飼会長「個人」を批判すればいい。「日本社会の臆病さ」以前に、まず犬飼会長の言動・性格が問題なのではないか? それを、なぜ「われわれ日本人」が「連帯責任」を負わねばならないのか?
たまったものではない!
真面目な話、後藤氏におかれてはこういう話を慎んで欲しいのである。瑣末なことだがしつこく拘泥する。
この手の与太話の自己成就として「ゴール前でシュートを打たないFW」が生まれてしまうような気すらする。
〔2009/05/24〕
世界のイベントか? テレビ局のイベントか?北京オリンピックが始まったが、五輪やワールドカップになると、テレビ局が勝手に「テーマ曲」を決めてガンガン流す。はっきりいって鬱陶しい。
スポーツ中継が損なわれる。2006年のドイツW杯の時、オレンジレンジのチャラチャラした曲が事あるごとに流されたせいで、せっかくのワールドカップの雰囲気の雰囲気がぶち壊しになったという声をインターネットで散見された(おまけに監督がジーコだった。酷いW杯だった)。
悩ましいのは、こいいう悪習を始めたのが公共放送のNHKだったということだ。1988年。ソウル五輪の浜田麻里「HEART & SOUL」だった。
これって、どういうカラクリになってるんだろうと思っていたら、答えが速水健朗氏の著作『タイアップの歌謡史』(洋泉社・新書y)に載っていた。
例えば、民放テレビのドラマの主題歌(例:TBS系『金曜日の妻たちへ』の主題歌・小林明子「恋に落ちて」)の原盤権を、そのテレビ局の関連音楽出版社が持つ。放送で主題歌が流れれば、そしてヒットすれば、それだけその関連音楽出版社に金が入ってくるのだ。
おそらくは、このアイデアを頂戴したのだろう。NHKの中に頭のいい人がいたのだろう。おそらくはNHKのスポーツ部門の発案ではないと思う。アテネ五輪のNHKのテーマ曲「栄光の架け橋」(ゆず)が流れると、原盤権を持つNHKの関連会社・日本放送出版協会に金が落ちるのである。
民放ならともかく、放送法で「他人の営業にかかわる広告の放送をしてはならない」と規定されているNHKが、そうしたビジネスをするのはいかがなものかというニュアンスが『タイアップの歌謡史』にはある。
それにしてもいやになる話だ。これからも世界的なスポーツイベント(W杯・五輪)のたびに「テーマ曲」が垂れ流されて、雰囲気が損なわれていくのだろうか?
(2008/08/10)
之政宇
印良部
中田英寿の父親(追加修正版)
「中田英寿の父が初激白 無愛想を装うわが息子の真実」
(『週刊宝石』1997年12月25日号)
「中田英寿の『最新語録』を父・邦彦氏が読む!」
(『週刊宝石』1998年6月18日号掲載)
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昔の野球 は 今のサッカー以前、山本昌邦の「ピッチにはアテネ(五輪)行きの切符が落ちている」発言は、かつての旧・南海ホークス監督・鶴岡一人の「グラウンドには銭が落ちている」に似ている、本田泰人のビール缶投げ込み事件はこれまた戦前の東京六大学野球リーグ全盛時の「水原茂リンゴ事件」に似ている……と書いた。
最近は、鶴岡一人も水原茂も知らないくせにスポーツライターになりたがる若造が多いらしい。鶴岡一人は一時期「山本」姓を名乗っていたから、あの「ピッチ(グラウンド)には○○が落ちている」発言は山本つながりだとも知らない連中が、あるいは水原茂と水原弘の区別がつかない輩がスポーツライターを志望するのである。
そんな人たちも、審判が下した判定の抗議に対して「俺がルールブックだ!」と毅然とした態度をとった野球の審判(アンパイア)の話はどこかで耳にしたことはあるだろう。この審判の名を二出川延明という。野球殿堂にも入っている名審判である(余談だが、この文章は2005年のJリーグ開幕日の翌日に書いている。あと、サッカーでも「名誉の殿堂」を始めるそうだが大丈夫だろうか?)。
「俺がルールブックだ!」の一件は、少し話が込み入っているので他に説明をゆだねる。この二出川審判の娘が、高千穂ひずるという映画女優であった……。
……と、ここで、またまた「昔の野球、現在のサッカー」という図式が出来上がるではないか!
父親の長澤監督が熱血漢でよく退場になり、それを見ていた娘はサッカーが嫌いになったという話が流布している。だが、倉本聰の脚本に意見したり、相手役の目つきが怖いなどと記者会見でハッキリ言うあたりは父親譲りと言えなくもない。
長澤まさみは、東宝のオーディション出身で、東宝芸能の所属。沢口靖子・古手川祐子(移籍したらしいが)・水野真紀といったここの所属女優を見てみると、非常にオーソドックスなタイプである(将来、カネボウ化粧品のCMに出るのか?)
高千穂ひずるも、名前で何となく分かるが宝塚出身で、東映時代劇のお姫様女優だったそうである。これも似ている。少なくともぶっきらぼうに振る舞って"自然体"などと呼ばせる女優とは対極である(そういう感じの人と映画の「セカチュー」で共演してたと思う)。この人が、テレビで月光仮面を演じていた大瀬康一と結婚して引退していたとは、この件で調べて初めて分かった。
長澤まさみも、悪い意味であの世界の色には染まらないでください。
〔2005/03/06〕
〔解説はこちらをクリック〕 武田薫といえば、野球防衛軍の佐官級将校という位置付けの人物で、実際に偏執的な野球擁護と反サッカー発言を繰り返してきた。この人がサッカーを書いていたことがある(!?)といったら驚くだろうか。サッカー専門誌『イレブン』の掲載記事と、フジテレビのサイトから干される原因となった『考えて欲しいNHKのカーリング』もあわせて公開。〔2006/10/15〕
川淵三郎氏がJFA会長の座に着き、自らを「会長」ではなくて「キャプテン」の愛称で呼んで欲しいとして周囲にこれを公表・要望した時に、ミニコミ誌『サッカーマニア』第26号(2002年11月25日号)に、宮崎雄司編集長が書いた「川淵新会長の愛称」を転載します。あくまで川淵氏の稚気あるいは愚童心をオチョくって、シャレとしてネタとして冗談としてこれを書いたのでしたが、果たして4年たってみて、現在の川淵会長と日本サッカー界の情況が全然シャレになっていないのであります。〔2006/07/02〕
文春のスポーツ誌『ナンバー』がサッカーとどう関わってきたか……という本題に入る前に、(2005/10/23 しばらく凍結)『アエラ』と『ナンバー』両誌で繰り広げられた斎藤美奈子vs金子達仁のカリスマ同士の"論争"について。この件に限っては金子サンを少しだけ擁護します。 〔2004/10/10〕
『ナンバー』と金子達仁をバッサリ斬り捨てて喝采を浴びたフェミニスト斎藤美奈子が隠蔽した事実と何か? その真意は……。そして金子達仁が有効に反撃できなかった理由は何なのか。 〔2004/10/10〕
斎藤美奈子が「文学コンプレックス」だといいながら、誰が書いた記事なのか明らかにされない3篇の『ナンバー』ノンフィクションの執筆者を調べ、増補版としました。 〔2004/12/09〕
中田英寿のケータイ電話のポスターを見かけた。が、……このポスターがどうにも奇妙なのだ。D.ベッカムとM.シューマッハの2人に挟まれて、なぜ日本人の中田だけがローマ字で"NAKATA"なのか? 〔2004/08/31〕
スターダムに押し上げた「アトランタ五輪」以前に、金子達仁の名をサッカーファンに刻みつけたのが、1993年、ドーハの悲劇の際にオフト日本代表に投げかけた、一連の「厳しい批判」だったとされる。その「カタール戦記」をあらためて読み直すと……。 〔2004/08/31〕
金子達仁がドーハの悲劇で展開した「厳しい批判」とは、本当に妥当なのだろうか? 予断と偏見にみちた曲解ではないのか? 結局のところ、多くのサッカーファンがカネコタツヒトに共鳴してしまったのではなかったか? 〔2004/08/31〕
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