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呂蒙は駐屯していた陸口を一時 是具らに任せ、そのまま長江を下った。 早朝に丹陽県の建業の港に着くと、呉侯孫権自らが城から出迎えに来ていた。 傘を差す従者もおらず、まだ昇りきらない昊の下にその身を曝け出し、また自ら手綱を握っていた。 彼の妹である孫仁(蒼天航路の孫楊華、無双の孫尚香。孫夫人)もその隣に居る。 周りに居る部下はごくわずかのようだ。 相変わらずの放逸さ。 しかし、相変わらずの大徳。劉備などには劣らぬと、彼は思う。 呆れていいやら恐縮していいやら分からず、呂蒙は兵の下船・積荷の一部の運搬を 幕下の将や隊長達に命じると、慌てて孫兄妹の前へと飛び出した。 「迂闊でございますぞ、殿」 「開口一番そう来るか、子明。」 孫権は軍礼する呂蒙の字を呼ばわると、穏やかに笑った。 「僭越ではございますが」 彼は孫権の栗毛の轡を取った。 僭越とは彼の言葉を言うのか、それとも行為を言うのか。 或いは両方だろうか。 「…妹君である孫仁様まで…」 輿にも、乗らず。 その言葉を呂蒙は危うく飲み込んだ。 男勝りで、弓腰姫などとも徒名されていた程の武術の腕と気性を持つ彼女は、 そういった『お嬢様扱い』のようなものを嫌う。 呂蒙には、どちらかといえば、『弟君』と言ってさえよい気がいつもする。 「呂蒙、其許は荊州に巣食っていた敵方の軍神・関羽を破ったのですよ。 その功績は兄上の出迎えだけでは見合わぬ程のものです。」 どうやら言葉を切った所で、勘違いしてくれたようだ。 呂蒙はほっと胸を撫で下ろした。 「ひどいな、仁。仮にも私は」 「江東の虎、小覇王に次ぐ呉の君主、呉王孫仲謀ぞ! …ですか?」 苦笑しながら諌めようとした孫権の表情に、また苦味が浮かぶ。 彼の鷹揚とした声をはきはきと真似して言ってみせた孫仁は、それに朗らかな笑みを返した。 長江の恩恵を受けた豊かな国、呉。 その王も、この妹にはかなわぬようだ。 そして、王は妹が可愛い。 一度嫁いだ彼女を、彼は母が病床に着いたと偽り、無理に呼び戻した。 戦略上のこともあっての出戻『らせ』だったが、孫仁が呉に戻ったことを 内心ひどく喜んでいた孫仲謀がいたのは、明らかな事実である。 現在彼女は二十七歳余となっている。 孫権は呂蒙より四つほど年下で、齢三十六くらいだ。 「軽率な行動と言わざるを得ませぬが、このような君恵に恵まれ、 蒙は、恐縮・恐悦、至極に存じまする。」 「軽率は余計だな、呂蒙。あまり口煩いと、張昭のようになるぞ」 「それは、それは。長寿となりそうで、ありがたいものですな」 実に孫策の代からの呉の重鎮である張昭は後に、 八十歳という長き天寿を全うして、亡くなる。 主従と主の妹とは、三人で笑い合った。 これから城に戻ったら、きっと登城してきた二張に、また叱られることだろう。 そんなことを話しながら、ゆっくりと歩き出した。 「お帰りなさい、子明!」 「…ああ。今、帰った」 自邸に戻る途中、妻である秋が、まだ朝早いというのに、 屋敷(とはいえ、小さいものだが)の近所で待っていた。 噂が伝わるのは早いものだ。 自分が戻って来たことも風の噂となり、こちらにまで伝わってきたのか。 多分そうだろうと、呂蒙は思った。 思いながら、隣を歩き始めた呂秋を見ていた。 同姓娶らずというが、呂蒙は親類である呂秋を嫁にした。 彼女は呂蒙よりゆうに十三は年下で、齢は孫仁の二十七に届いていない。 十年ほど前―――呂蒙が二十八、九のとき、まだ十五歳の呂秋は、家出をしてきた。 いつまで慎まないでいるつもりだと叱ってくる親と大喧嘩したのだという。 幼い頃からお転婆だった呂秋を知っていた彼はそれを受け入れ、 使用人を交えての同棲が始まり、そして自然、愛情が芽生えるに至った。 無論、反対された。 されたが、平民出の呂家を持ち上げた、 言うなれば呂家の大黒柱である呂蒙が言うことなので、 強く諌めることは彼らには出来なかった。 強く止めたとしても呂蒙は心身をかけ説いたことだろう。 孫権もそれはどうなのだと半ば咎めたが、彼らの仲を祝い、宴まで興じてくれた。 「どうしたの、子明。何をじろじろと見ているの?」 「…いや。何も」 はじめは暫く家に置いておくだけのつもりだった。 まさかこうなるとは彼にも予想がつかなかったらしい。 若い頃放蕩息子であった自分には確かに似合いの嫁かも知れないが、誠に意外であった。 「大丈夫よ。言い付け通り留守の間は薙刀も柳葉刀も振り回さないでいたから」 飛んだお転婆で体力も市井の女性や貴族の女性より余程ある呂秋だが、 呂蒙が以前一度建業に戻って来たとき、彼女は軽い風邪をこじらせていた。 元々妻の数少ない取り得の内の一つが健康であると思っていた呂蒙は それだけで大いに心配し、女伊達らに彼の幕下の兵を修練で打ち負かしたりする彼女に、 自分が暫く留守の間、暴れないように言っておいた。 どうやら風邪は治ったようだ。咳を一つもしないし、 現に今も、屋敷の壁にひらりと登って――― 「って、固羅、秋!何をしている、いい年をして!」 横目に見詰めていた妻がいつの間にか消えたと思ったら、 彼女は軽々と飛び上がって壁に登り、そこを練り歩いていた。 「子明が帰って来たからよ。いいんでしょう、暴れ回っても?」 言って、呂秋は、石垣の上でくるくると回ったり、ぴょんぴょんと飛び跳ねたりする。 呂蒙は目のやり場に困って、辺りを見回した。 というより、辺りに人気が無いかを確認した。 自分の妻のこんなお転婆な所を見られてたまるか!とでも思ったのだろうが、 そのお転婆は既に周知の事実で、孫権はおろか、故・魯粛までもが知っていた。 孫仁様といい、こいつといい、この江南の土地で育った女性は、 どうしてもこんなお転婆になってしまうのだろうか? そうも考えたが、違った。 実際先君孫策の妻であった大喬や、前々都督周瑜の妻であった小喬の二人、 即ち喬国老の愛娘・二喬は、とてもおしとやかだ。そして、美しい。 お転婆。活発。放逸。 嫌いではないし、寧ろ好ましいが、やはりあまり人に見せたくはない。 機会を見計らい、呂蒙は呂秋の足を手甲で払い、壁の上から引き摺り下ろした。 待ち構え、落ちて来た彼女をその両手で抱き止めた。 久し振りに感じる柔らかな感触に、彼は一瞬だけ酔い痴れた。 秋を娶って以来、彼は他の女を知らない。秋一筋にしてきた。 「荊州奪還の宴があるのでしょう?」 腕の中で、童顔の呂秋が、大きな吊り目を此方を向けて言った。 「ああ。呉侯自らのお出迎えの際に誘われた」 「その呉侯直々のお使いが、屋敷に来たわ。 折角だから、私もその宴に出席しろと」 呂夫人も宴に出席しろ、と、呉侯が! その言葉に呂蒙は面食らったが、 暖かで柔らかな呂秋の女体を掌に感じ直すと、彼女の頭を自分の肩までもっていかせた。 今度は、呂秋が面食らう番だった。 呂蒙が、ぼそりと言う。 「実は俺は、宴などよりも、お前と居たかったんだが」 「…我が侭言うな、阿蒙!」 昔の、今よりももっとお転婆だった頃の口調に戻った呂秋は、 夫の気持ちに感動して、太めの首に手を回しながらも、その背を強く、平手で叩いた。 中身は、変わっていない。 「痛いな。」 だが、久方ぶりで懐かしく、心地よい痛みだ。 そう心の中で呟いてから呂蒙は呂秋を土の上に降ろしてやった。 具足に身を包んだままだ。重苦しい。 彼は彼女と共に衣冠を正しに、自邸へと歩んだ。 秋の、長くなった黒髪が冬の冷たい風に揺れる。 そういえば、年明けが近い。 帰 前 次 呉 侯 お 気 軽 過 ぎ 。 威厳零! …孫兄妹と呂夫妻の単なるイチャイチャ話ですなこりゃ_| ̄|○lll要らない話だ…。 というか結婚後十年経っても愛溢れんばかりですなりょもっさん! |
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