「ドウシテモ、譲レナイノデスカ」


壱ノ妙の静かな問いに、キリコはその首をゆっくりと振ることで答えた。


「壱ハ、壱ハコンナニモ愛シテイルトイウノニ…」


キリコは、困ったようにその長い腕の先の三本の細い指で、電球の頬を掻いた。


「ドウシテモ、壱ノ茶ヲ飲メナイト仰ルノデスカ…きりこ氏(うじ)!!」


彼女の悲痛な言葉たちは、その両手に握られた湯呑みの中にゆらめく緑茶の中に、沈んでいった。






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和洋折衷








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そう言われても、キリコに答えることは出来ない。
彼には口は無く、それ所か耳も、鼻も、目さえもなかった。
しかし聴覚や視覚・触覚などはあるらしい。
そして、感情をも持ち合わせている。

力と丈夫さだけが取り柄の絡繰の彼は、神・MZDの召喚を受け、
何年、何十年か、数え切れぬ程の時を共に過ごしてきた街を離れ、ここ、日本に来ていた。
留守の間は、神直々の御力が、街を守護してくれるという。
(それでもキリコは納得しなかったので、
無理矢理に『連れて来た』とも言える―寧ろそちらの表現が正しい)

畳の上、ちゃぶ台に腕を寄せ、それをわなわなと震わせているのは日本人形・壱ノ妙である。
ジャズバンド『サムライズ』の琵琶リストである一京の寺の奥、彼女は葛篭の中で眠っていた。
逸の日、名家に生まれた女の子に贈られるはずの人形だったが、
生まれた吾子は男児であったため、日の目を見ぬまま、仕舞われていた。
それを一京が見つけ、MZDも「面白そうだから」と言って、
ポップンパーティに強制出場させたのだった。

元々は市松人形ほどの大きさだったらしいが、その背丈は伸び、体つきも大きく丸みを帯び、
蔵から出されたときその体躯を包んでいたのは振袖の袖の部分と、
腰から下の部分だけだった。美しい黒髪は、変わっていなかった。
彼女もまた視覚、聴覚、触覚、感情を持ち合わせ、更には嗅覚や味覚をも備えていた。
言葉を喋ることも出来る。当時の倭国の技術でどうして作り上げられたかといえば、
それは倭国の技術によって、ではなかった。
旧い時代を静かに、確実に生きていた壱ノ妙という人形に、神の悪戯か、感情が宿り、感覚が宿った。

今日は紅葉の彩りを映した着物が美しい。
しかしその赤い瞳からは、どこから出てくるのか、滾々と、涙と思わしき雫が、流れ続けていた。
そして机の上にあるのは、緑の湯呑みと、桜色の湯呑みと、海苔煎餅の入った菓子皿に、きゅうす。

「何故…何故デスカ、きりこ氏?何故 壱ノ酌シタ茶ヲ飲メナイト申サレルノデスカ?」

キリコは心底困っていた。彼は彼女と違って言葉を喋ることは出来ない。
出来得ることならば彼だって、
『それは違います、壱ノ妙さん。
僕には口も無いし、味覚も無いから、そのお茶を味わうことが出来ないのです。』
と、きちんと伝えたかった。
けれど目の前の彼女は、嘆き悲しんでいる。キリコの心内は、穏やかではなかった。
と、廊下から、何やらどたばたと音がする。かと思えば、

「うちの可愛い可愛いお壱を泣かせたのは、どこのどいつですかっ!!」

と、この部屋の、寺の主の息子である一京がやってきた。
襖を開けたかと思えばキリコを睨み付けて、壱ノ妙の元に駆け寄る。

「ああ、お壱、お壱。泣かないで下さい。愛しいお前を泣かせた不届き千番な輩は、どいつですか?」

彼は彼女を見つけてから、溺愛している。

「私が懲らしめて差し上げますよ。」

キリコは、かけもしない冷や汗をかいたような気がした。

「イイエ、一京サマ。ナンデモゴザイマセン。タダ、タダ…ソノ…
たまねぎノ成分ガ目ニシミタダケデゴザイマス。

「…それなら、いいんですが。」

たまねぎの一つもありはしないこの和室でこんな嘘をつく壱ノ妙も壱ノ妙だが、
疑うことも知らず信じる一京も一京だ。おとなしく引き下がってしまった。

とかく、このままではいけないと、キリコは焦りを感じた。
壱ノ妙の目尻が腫れることはないが、その涙を見ることはしのびないものである。
なんとかして、口と、味覚が欲しい。そして、彼女の注いだお茶を味わいたい。

「…きりこ氏?」

キリコは突然立ち上がると、ひょこひょこと歩いて、襖を開けた。

「…ドコニ行カレルノデスカ、きりこ氏?」

キリコは、壱ノ妙の咎める声に、ふるふるとかぶりと振るだけすると、
廊下に出て、襖を閉じ、そして 境内へと出ていった。



「………。」

さて、どうすれば自分に口が出来、味覚が出来るのだろう?
キリコがそうやって宛ても無く街中を彷徨い続け、既に幾時間も経ってしまい、
街は朱色に包まれつつあった。
丘の上の公園のブランコを占領し、ゆらゆらと揺れながら、夕焼けを見つめていた。

壱ノ妙さんの注いでくれた緑茶が飲みたい。
言葉はいらないから、せめて彼女の厚意を受けてあげたい。

たったそれだけの考えを持って、ただ歩き続けたけれど、解決策は見つからない。
キリコは、自分は今、きっと、泣いているのだろうと思った。
彼には涙の源泉たる瞳もなかった。
嗚呼、真ん丸い夕日はまるで、壱ノ妙さんの真ん丸い瞳みたいだ。
思いを馳せれば馳せる程、キリコは切なくなってきた。泣きたくなってきた。泣けなかった。

と、赤い夕焼けの中ただ揺られていると、キリコの膝の上に誰かが乗りかかってきた。
見ると、そこには犬でも猫でもなく、小さな少女がいた。
黒髪の少女は黒いカーディガンに黒いワンピースを纏っていて、その胸元には白百合のコサージュ。
そして可愛らしい花でデコレートされた、大きな麦わら帽子。
キリコをただ、見上げていた。


「おや。そこにいるのは、キリコですか?」


聞き覚えのある声だと、キリコは少女から声の発信源へと顔を向けた。
そこには、こちらに来てから自分の身体の整備などを何かと世話してくれる、ジズがいた。
片手には無地クラフトの袋を持っている。牛乳パックの青色が覗いているから、
どうやら彼は、買い物帰りに彼女とここへ立ち寄ったようである。
思わぬ、庶民的な所を見てしまって、キリコはちょっと申し訳ない気分になった。

少女の名は、確か、かごめといった。
彼が懇意にしている女性――というより、少女であり、
カリスマ詩人だということだった。キリコは整備中などにもよく来る彼女と仲がよくなった。

「どうしたのですか、こんな所で。最近は一京さんという方のお寺でお世話になっていると聞きましたが
―…ああ、かごめさん、そこにいては彼が迷惑でしょう。おどきになった方が…
……はい?……座り心地がいい?………ええ…そうですか。…貴方が望むのなら。」

人形師は寂しそうに哀愁漂う表情をしてから、キリコの隣のブランコに乗った。
彼は人形の心を解すことが出来、かごめは魂の心を解すことが出来る。
キリコはジズに事の次第を話した。

「…ふむ、成る程。つまり貴方は味覚という感覚を求めて、街に出たわけですか。
そしてそれを補うものは見つからず…今に至る、と。」

ジズは意外にも立ち漕ぎが巧い。
ちなみに既に何度か回転しているが、悩めるキリコの視界には入っていなかった。
かごめはキリコの膝の上に乗ったまま、キリコの語らんとすることを『見て』いた。
――…ジズの壮絶なまでの立ち漕ぎは、人形であるとはいえ、他の男に懐く彼女を見ないためかもしれない。
彼にしては、不自然にも程があるが。

「キリコ、それならそうと、何故早く私の元へ来なかったのですか?」

キリコは、俯けていた顔をぱっと上げた。
どういうことだろうか、と鈍い彼はジズに向いて、首を傾げた。

「私は人形師です。多様な人形を手がけていることなど、貴方も御存知なことでしょう。
ですから、貴方にそういった感覚を与えることなど、造作も無いことなのですよ?」

キリコはそれを聞くと、電球の頭をピカピカと光らせた。
夕焼けに染まって、綺麗な暖色の光だった。
無邪気な、嬉しそうな感情が、にじみ出ている。

「……よかった……ね」

かごめが、辿々しく祝辞を述べた。キリコはそれに応えて、こくりと頷いた。
ブランコの揺れを小さくしてしまっていたためにそれを見てしまったジズの微笑が、ぴくりと引き攣った。

「キリコ、貴方が望むなら、今すぐにでも貴方に味覚と、口とを与えられます。
どう致しますか?」

キリコは心の中で、『もちろん』と、『お願いします』と答えた。

「では、そのように致しましょう。」

キリコはかごめを抱き上げて、大喜びした。
高い高いをされるような年頃の少女ではないが、かごめも喜んだ。

「……ええ。…そのように、ね。」

ジズの、歪んだ笑みにも気づかずに。



『突然出て行ったのなら、壱ノ妙さんも驚かれたことでしょう。
お詫びに、と この紅茶でも持っていって下さい。
和洋折衷になってしまいますが、構わないでしょう。』

そう言われてジズから貰った紅茶の葉と、かごめに貰った野花とを貰って、
キリコは上機嫌に足取りも軽く、寺に戻った。
境内には火が点っていた。既に星が綺麗に見える時間帯だ。

「きりこ氏!一体、コノヨウナ時間マデ、ドコニ…」

ずっとキリコを待っていたのだろうか。
壱ノ妙が、寺の賽銭箱の辺りで立っていた。散った紅葉が一箇所に集まっている。
手にしていた竹箒を握り直すと、彼女はキリコの方へと駆け寄った。
割烹着姿が妙に似合っている。
キリコは、息を吸った。

「壱ノ妙さん。僕に、お茶を、注いで下さいませんか。
今夜だけ僕は喋ることが出来るし、今夜だけ僕は口と、味覚があるんです。」

「きりこ氏…きりこ氏!…アナタハ、モシカシテ…ソノタメニ…コンナ、夜更ケマデ…」

キリコの落ち着いた声を聞いて、壱ノ妙は、痛く感動していた。
その喜びは、誕生日に自分の年の数と同じ本数の薔薇を貰った乙女のような気分だ。

「サア、寒イデショウ。早ク中ニ入ッテ下サイ。コノ壱ガ、心ヲ込メテ、オ茶ヲ酌ミマス故」

「ええ、壱ノ妙さん。」

声を聞いた一京が何者かと出てきたが、
そこには愛しい愛しい可愛い壱ノ妙とキリコしかいなかったので、首をひねるだけで終わった。


「夢のようです、こうして壱ノ妙さんとちゃんとお話出来て、その上、壱ノ妙さんのお茶を飲めるなんて。」

今朝と同じ和室で、キリコは座っていた。今朝と違う事柄は、明確だ。

「ソレハ壱モデスワ、きりこ氏。壱ノタメニソコマデシテクダサッテ、壱ハ、壱ハ…」

壱ノ妙は感激のあまり、また涙を流していた。隠すように振袖を緩慢に頬に寄せる。

「泣かないで下さい、壱ノ妙さん…貴方には笑顔が似合います。」

キリコはその柔らかな声で気障な台詞を吐いたが、壱ノ妙はこれにまた感動した。

「エエ、ソウデスネ、ソウデスネ…。デハ、きゅうすニオ湯ヲ入レテ来マスカラ、
先ニ オ煎餅デモ食ベテイテクダサイナ」

「ああ、嬉しいなあ。食べることも出来るんだ…じゃあ、いただきまーす!」


















バツン


















「キャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


















サムライズの練習よりも高く大きく甲高く、人形の悲鳴が境内と山に響いた。






翌朝、境内に、打ち捨てられたぼろぼろの巨大な人形が見つかって、参拝客を驚かせた。
その周りには数え切れない程の牙が落ちていたが、その人形には口がなかったという。
キリコは、一晩中泣きたい気分だったが、やっぱり泣けなかった。






「…ジズ。どうしたの…?…機嫌が、とてもいいみたいね…。」

「ええ、かごめさん。昨晩、とても面白いものが見れましたから。」

「……そう。」

「さあ、それよりも、今朝は焼きたてのクロワッサンと、暖かいココアですよ。
どうです、美味しそうでしょう?」

「…うん。」

「ふふ。それでは、頂きましょうか――…」












おわり






●――――――――――――――――――――●
あとがき

ギャグっぽいです。多分ギャグです。
ただただキリコ×壱ノ妙が書きたくて計画性も無く打ち込んでいたらこんなことに。やーん。
何気に一壱やジズかごも入っていて五月雨さん大満足です(…。)

壱ノ妙さんもキリコも、もっと可愛らしく描写したかったんですが、どんなもんでしょうか。
私的には…あまり。むう。ちっとかわいそうですし、寄生獣ですし(…。)
ギャグ…なのかなあ…w;

悪戯・嫉妬心に燃えるジズさんは書いてて楽しかったです。かごめも。
一京さんは今回始めて書いてみたんですが、なんだか…その……
夢小説の牛尾キャプテン(ミスターフルスイング)のようです…。

03.11.3.



















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