+++懺悔+++


文久四年・・・それは長州に住むすべての人々にとって、悪夢のような年だった。

のちに『禁門の変』と呼ばれるクーデター ―――
禁裏の警護役を解かれ、都を追われたことへの陳情、弁明をすべし・・・と、来島率いる過激派が軍を率いて京を目指したのがそもそもの始まりである。
穏健派のみならず血気溢れる憂国の若者たちでさえが、進軍を懸念し止めようと骨を折った。だが、藩内に渦巻く狂気はどうにも止まらないほど煮えたぎり、人々から冷静な判断を奪い去ってしまっていたのだ。
昔堅気の武人の頭には、「憎き会津」「薩賊の奸計」と、それしかなくなってしまっている。都を追われた長州が、今、軍を率いて都を目指せば・・・謀反ととられても不思議がない事すら、わからないのだ。
勇ましい若武者装束の久坂と入江がこれに同行した理由は、山県にはとうてい理解できないものだった。

―――結果は見えている。死にに行くようなものだ。
   一人二人の死ではなく、長州という藩の首を絞める行為だ―――

たかが小役人に過ぎぬ山県にはそれに意見する術はない。
友人として久坂と入江に激しく詰問しても、彼等はただ黙って顔を見合わせ、静かな微笑を浮かべるだけだった。
まるで、すべてを悟ったもののように澄んだ穏やかな表情が酷く印象に残っている。


帝への陳情のために向かった筈の軍が、御門に向かって発砲したと・・・報告が入るまでには、それほどの月日はいらなかった。
御所に向かって弓ひいたならば、長州は逆賊となる。日本中の藩を敵にまわさなければならないのだ。
その知らせに蜂の巣をつついたような騒ぎが起こる中、久坂玄端と入江九一の戦死が伝えられた。
胸を抉られるような悲報だったが、心のどこかにそうなるだろうという予感があったためか・・・どうにも涙が出てこない。
言葉少なく、山県は与えられた日常の雑務を淡々とこなす・・・。

野山獄にいる高杉が病気療養のため、自宅に移ったと漏れ聞いたのはこの頃だった。
例の悲報は高杉の元にも届いているだろう。なんとなくじっとしていられなくなり、山県はひと気のなくなった夜更けの小道を高杉の家へ向かって急いだ。

―――そっと外から様子をみるだけで・・・―――
久坂達を止めることができなかった負い目からか、どんな顔で高杉に会っていいかわからない。
おそらく、家人も山県のような者の来訪は喜ばないだろう。
・・・そう自分の心に理由をつけて、山県は庭の垣根ごしに様子を窺うつもりだった。

「うげぇッ・・・げほげほ・・・か、かはッ・・・」

謹慎のため堅く閉ざした門を避けて、そっと裏に回った山県の耳に、押し殺したうめき声が聞こえた。見れば縁側まで這いずってきた高杉が胸をかきむしるようにして吐いている。
家人に遠慮しているのか、人を呼ぶ様子もない。

「何をしちょるんですか!誰か・・・」
「呼ばんでええ。・・・家族には、これ以上心配かけたくないんじゃ。」
慌てて駆け寄った山県が大声を出そうとするのを、高杉が制する。
痩せ衰えた手は驚くほど熱い。
「しかし・・・」
「ええんじゃ。つべこべぬかさんと言う通りにせいや。」
落ち窪んだ目でジロリと一瞥すると、高杉は脱力したようにその場に座り込んだ。
足を投げ出し、半開きの障子に背中を預ける。
そのまま黙り込んでしまった高杉に、山県はどうしていいかわからずに狼狽した。
このまま病人を放って帰るのも気がひけるし、かといって何の会話もないままここに突っ立っているのは針のむしろに座らされているような気分だ。

「せめて床に戻って・・・」
「・・・・・・・・・。」
沈黙に耐えかねて言ってみたが、まるで高杉の耳には届いていないようだ。
「眠らんと治るもんも治りませんし・・・聞いちょりますか、高杉さん?」
「・・・・・・・・・。」
「高杉さん!」
「・・・・・・・・・。」

ようやく、小さく顔をあげた高杉の喉が再びグウッと鳴る。
吐き気を堪えるように口を押さえ、高杉は呻くように呟いた。
「・・・・・・眠れんのじゃ。」
「・・・?」
「眠ろうと思って目を瞑ると、奴らの顔が浮かんで来よる。
 煤けた顔で・・・血を流しながら、久坂が俺を見て笑うんじゃ。
 習作を朗読するみたいに誇らし気に笑って、お前の出番じゃと・・・
 入江も寺島も・・・後を頼むと笑いよる。」

背中に冷水を浴びせかけられたように、山県はギクリと胆を冷やした。
彼等の微笑に捕らえられているのは、自分もまた同じなのだ。
その顔から逃げるために、雑務に没頭してきた・・・。
まじまじと・・・改めて憔悴しきった高杉の顔を覗き込む。

「・・・なのに俺だけ、のうのうとこうして生きておる。
 なにもせんまま、理想に殉じた奴らをうらやんで・・・ただ生きちょる。
 そう思うと・・・・・・・・・」
噛み締めた唇の端から血が滲んでいる・・・。気付かないのか、高杉はそれを拭うこともせずに拳を震わせていた。
―――泣いて、いるのだろうか・・・―――
決して短いつきあいではなかったが、こんな高杉の姿を見るのは初めてだった。
腹に据えかねるくらい尊大で高飛車なこの男が―――思い起こしてみれば、時折久坂が目を細めながら「見た目ほどじゃぁないんだけどな」と意味深に笑っている事があった。村塾の双璧と言われた仲だけあって、彼等だけに通じ合うものがあったのだろうか―――こんな風に繊細な一面を見せるとは、思ってもみなかったのだ。

何を言っていいのか、わからない。こんな時、気のきいた一言でも言えたなら・・・

「俺も・・・、です。」
口をついて出たのは、おそろしくありふれた・・・不粋な言葉。自分の腑甲斐無さに歯ぎしりしたい気分で山県は口を閉ざした。

再び顔をあげた高杉が、先を促すように山県の目を射る。理由を尋ねられているらしい・・・ここで撤回するわけにもいかず、渋々山県は言葉を紡ぐ。

「・・・俺も、生き残りました。赤根や和作もいます。」

たいした意味があったわけではない。仲間を止められなかったのは全員の不始末で、だからといって高杉がそれを理由に自分を責めることをやめるとも思えなかったし・・・
ただ、口が勝手に喋ってしまったのだ。
不用意なこの言葉が今の高杉の勘に触らぬよう・・・それだけを念じながら噛み締めるように一言一言を吐き出した。

黙ったまま高杉は目を見開いて、まばたきもせずに山県を見つめている。
再び居心地の悪い沈黙が流れ、真剣な高杉の表情は怒っているようにも自分を馬鹿にしているようにも見えた。

「・・・そう、じゃな・・・」
ようやく沈黙を破ったのは、ふっきれたような高杉の呟きだった。
「そう・・・まだ、何も終わっちょらん・・・。
 やつらの死が無駄じゃったかどうか・・・決めるのはこれからの『時代』じゃ。」

不敵な笑みがその顔に宿る。・・・そう、いつも見ていた高杉晋作の顔だ。
入江や久坂のあの・・・消え入りそうに儚くどこか不安にさせる表情とは違う、自信に溢れた力強い笑みだった。

「月がだいぶ傾いちょる。お前ももう帰れ。
 俺はしばらくここでおとなしく静養して、情勢を眺めちょることにする。
 いつでも事を起こせるようにな。」
「は・・・ぁ・・・。」

自分の思考が追い付く前に、どうやら高杉は前へ前へと進んでいるらしい。
なんだか煙にまかれたようだが、夜遅くに病人のところにいつまでもいるのも失礼な話である。まるで追い立てられるようだが、退散すべきところだろう。
「では、俺はこれで・・・。眠れなくても横になるだけでも休めますから。
 からだ・・・、大事にしてください。」
どうにも腑に落ちない顔のまま、軽く頭を下げて辞去した山県の背に、低い声が届く。

「・・・今日の事は他言無用じゃぞ。」

思わず足が止まる山県。振り返りたくなったが・・・思い直してそのまま次の一歩を踏み出した。

歩きながら、ふとおかしくなった。
高飛車な高杉の言葉が、いつもより幾分柔らかく聞こえたのだ。
そう、もしかしたら久坂はこんな気分で高杉の話を聞いていたのかもしれない。

穏やかに久坂を想い・・・そしてハッとする。
・・・彼等との思い出を包んでしまっていたあの苦々しさが、いつの間にか消えているではないか。
死にゆくとわかっていながら出陣を止められなかった・・・その負い目が生んだ歪んだ感情・・・。
どうやら、高杉だけでなく山県も、心の内で折り合うことができたようだ。

これからの彼等の運命を知ってか知らずにか・・・蒼い月はただ黙ってそれぞれの道を照らしていた。


――― 後れても また後れても 君たちに
       誓ひしことを 我忘れめや  ―――

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