++ 雪の降る夜++
時折、わけもなく夜中に目覚めることがある。
何故か睡魔は立ち去ったまま、今見たばかりの夢だけを道連れに静かな夜に1人ぽつんと取り残されるのだ。
しんしんと冷えた夜気が、はだけた夜具の隙間から絡み付く。
―――しばらく思案していた伊庭八郎は、諦めたようにのそりと体を起こした。
薄い寝巻の上から、片腕で器用に上着を羽織るとそっと廊下にしのび出る。
思った通り、窓から見える外は一面の雪だった。
しんしんと・・・それこそ音をたてそうに冷えた大地。
物憂気な瞳にその光景を映しながら、伊庭は厠へと向かう。
冷え冷えとした長い廊下に面した扉の一つから、ほのかな明かりが漏れているのに気が着いた。
(・・・ありゃぁ、人見さんの部屋じゃなかったかな。)
まだ寝てなかったのかと苦笑しながら、扉を軽く叩いてそっと押し開く。
・・・入室する前に扉を叩くのは、異人の礼儀なのだそうだ。
「誰かと思ったら、伊庭さんか・・・。なんだ、まだ寝てなかったのか?」
「そりゃぁおいらの台詞だよ。
あんたも根詰めてばかりいないで、適当に休まないと。」
言おうとした小言を先に言われて、伊庭は苦笑する。
人見は、外套を着込んだまま何か書き物に熱中していたらしい。
筆を置くと、節約のために芯を細くした油差しを伊庭の方へ押し出した。
彼の手元を照らしていた明かりが、室内をうっすらと照らし出す。
「じゃぁ・・・」と笑って、伊庭は椅子をひきずってきた。そのまま人見のすぐ脇に腰を下ろす。寄り添うように僅かに触れる体から、ぼんやりと伝ってくる温もりが心地よい。
「今夜はずいぶんと冷え込むねぇ・・・。
でも、こうしてるとあったかくて、眠気が来てくれるかもしれんな。
・・・ところで人見さん、一体何を書いてたんだい?」
「ああ、ひさしぶりに詩でも作ってみようかと思ってな。
調子にのって推敲してたらこんな時間になっちまった。」
「そうか・・・。おいらぁまた、1人で心配事を抱えてんのかと思ったよ。
そんなら安心だな。
風流ってやつは、それほど解せるわけじゃぁねぇけど・・・
あんたの詩は、まっすぐで、おいらぁ好きだね。できたら見せてくれよ?」
照れたように人見は笑って頷いた。
紡ぐ言葉を失って、沈黙が訪れる。
京の都からも、花の江戸からも遠く離れたここ蝦夷地。
辿り着くまでにも紆余曲折の日々があった。これから先、一体どんな困難が待っているのだろうか。
それを恐れずに進める若さが、二人にはあったけれど・・・。
「状況、悪いのかい・・・?」
まるで今年の菊の出来を尋ねるような穏やかさで、伊庭が口を開く。
人見はだまって頷き、言葉少なく語った。
「新政府には、榎本さんが何度も嘆願書を送っているらしいんだが・・・。
どうにも取り合えってくれないらしい。
少しばかり時間の余裕はあるだろうが、戦は避けられんかもしれんな。」
「そうか・・・。」
それが意味する昏い未来に思いを馳せたりはしないのか・・・この若者たちの顔色は変わらない。
再び訪れた沈黙も、何か通じ合うものがあって言葉を必要としていないだけのような・・・どこかくつろいだ優しげな温度がある。
机の上の明かりの他には何の火の気のない部屋の中、極寒の息吹は彼等の熱い心までは届かないのだろうか。
「・・・カモシカの、夢を見たよ。
ありゃぁきっと家族かなんかだな・・・何頭かで群れになって、
雪で真っ白になった丘を歩いていくんだ。
何もかもが雪で覆われて、枝まで凍った綺麗な木立の間をさ・・・
守ってくれるものなんて何もないのに、
ピンと頭をもたげて、遠くを見ながら颯爽と歩くんだよ。格好よかったなァ・・・。」
うんうんと頷きながら人見が続く。
「どこへ行ったら餌があるのか、どこまで歩いたらあったかいねぐらがあるのか、
そんな事、やつらにはわからんだろうにな。
それでもあいつら、振り返ることもせずに、ただ歩いていくんだ。
俺はここへ来て、始めてそういう事を目の当たりに知ったけど・・・
厳しいようでも、それが自然の理ってものなんだよなぁ。」
嬉しそうに笑う伊庭の端正な顔だちが、ぼんやりした炎の明かりに影絵のように照らされる。
こてん・・・と、小さな音がして、伊庭の頭が人見の肩に落ちてきた。
「なぁ・・・人見さんよ。
・・・おいらたちも、未来を見据えて、しっかりたくましく歩いて行こうよな。」
返事のかわりに人見はこつんと額をぶつけ、ニッと笑ってみせる。
つられて伊庭も、はにかむように笑った。
例え未来に待っているのが断崖絶壁だったとしても、この温もりがあれば歩いてゆける。
・・・この友がいるなら、迷わずに進んでゆける。ただひたすら、まっすぐに。
揺れた炎が、小さくジジジ・・・と悲鳴をあげて燃え尽きた。
しんしんと底冷えする極寒の夜が彼等を取り巻く・・・。
―――明けない夜はなく、終わりのない冬はない。
その時に自分が、そしてこの友が立っていられるかどうか、それはわからぬ事。
ひそやかな彼等の祈りを包み込むように、雪はいつまでも振り続けていた。
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