++ +雪の道++


夜のうちに積もった雪が、自慢の庭を真っ白に染め上げていた。
比較的暖かな小田原の地にも、正月を過ぎる頃には雪の訪れがある。
もう少しすれば梅の枝が可憐なつぼみをつけるのだろうが、この時期、主人の目を楽しませてくれるのは艶やかな紅色の大輪をたわわにつけた椿の木であった。

新雪を踏みしめ、ゆっくりと慎重に足を踏み出す。
すでに老齢となった今も、この男―――山県有朋の用心深い性質は、おかしいくらいに変わることがなかった。
もちろん身体を気遣う事は常に念頭にあり、今でも朝一番に行う槍の素振りは欠かさない。
そのおかげもあって、旧友たちがこの世を去っていった今も、こうして元気に余生を送ることができているのだろう。

素振りと共に欠かせない日課となっていたのが、庭の散歩である。
自身が考案して造らせた自慢の庭を、ゆっくりと思索にふけりながら歩く・・・
それが、この老人の、数少ない、ささやかな楽しみであったのだ。

それほど広大な敷地ではないが、高低差のある庭内を歩くのはなかなかいい運動にもなるし、また時間もかかる。
木立の中へ続く道に入れば、屋敷は視界から遮られてまるでこの世にひとりきりになったような、そんな錯覚さえおぼえてしまう。
静寂の中、滝から落ちる水の流れが老人の侘びしい心をぬぐうように響いていた。

この先には、小さな社がある。
先の天子様から賜った刀を奉るために建てさせたものだ。散歩の途中でそこを訪れるのもまた、彼の中の決まり事である。

細い小径の脇にそびえる楓の木。夏はうっそうと葉を茂らせて、きつい陽射しを遮ってくれる。
この季節はすっかり葉を落としてしまっているが、植栽した頃に比べると随分大きくなったものだ。
太くなった幹に手をあて頭上を仰ぎみると、枝がさわさわと風に揺れる・・・。

まるで過ぎていった歳月が笑いながら逃げていくように―――・・・。

山県翁は、ゆっくりと今来た道を振り返ってみた。
大きな背の高い木々に閉ざされた、一本の白い雪道。
黒い染みのように続く、自分だけの足跡・・・そして、その脇に落ちたいくつかの血の色の花。

――――嗚呼・・・

思わず漏れる切ない嘆息。

―――もうこんなに遠くまで歩いてきてしまったのか。
   希望に満ちて輝いていた・・・若かったあの時代・・・
   敵味方に別れつつも、共に時代を歩んで来た連中も、もういない。
   儂は・・・ひとりなのだなぁ・・・

今更ながらに湧きおこってきた感傷に苦笑を浮かべ、雪の上に落ちた血の色の・・・椿の花を拾い上げる。
彼が追い落とした者達の最後の恨み言なのか・・・落ちた花はハッとする程美しい。

漠然とした寂寥感が襲いかかる。だが・・・彼の人生において、それは別に珍しいものではなかった。
しばらく立ち尽くしていれば通り過ぎていく・・・秋の嵐のようなものなのだ。

老人はいつもよりも長い時間を散歩に費やし、そして午後からは普段通り書斎にこもって、無言のまま執筆活動に専念した。

・・・この日生まれた一遍の詩は、今も古希庵の片隅に刻まれている。


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