++ 春雷++


―――じわじわと迫る冬の寒さ。
比較的雪の少ない南国育ちの兵士を擁する西軍にとって、冬の間の戦闘は明らかに不利であった。荒れる北の海を睨みながら、蝦夷制圧の総参謀に任命された山田市之充は静かに時期を待つ。
戦には勝機というものがあり、よくよく見極めて兵を配すれば犠牲は少なくて済む。
・・・恩師大村から教わり、また自身でかいくぐった幾つもの戦いの中で学んだ事だった。

遅い春がようやく北の大地へ訪れ雪が溶けていく頃、白熊をかぶった勇ましい若武者は率いた大軍とともに蝦夷の地を踏んだ。
采配は面白いほどに効果を発揮し、破竹の勢いで進軍してゆく。既に発した伝令によって、おっつけ第三陣が海を渡ってくるだろう。
率いるのは薩摩藩の黒田了介。これも若く血気さかんな武者の1人である。
松前を破った市之充はそのまま函館まで攻めあがり、黒田率いる軍勢とで五稜郭を挟み撃ちにするつもりだった。

・・・函館政府の必死の防戦もむなしく、また黒田の懸命な説得が効を奏したのか、やがて彼等の思惑通り五稜郭は降伏の旗をあげた。
額にしわを寄せしかめ面で報告を待っていた黒田が、飛び上がるようにして陣から走り出る。嬉々とした眩しいばかりのその後ろ姿を横目で見送り、市之充はゆっくりと白熊を脱いだ。
―――長かった戌申の戦いが、ここにようやく幕を閉じた。

調停に関することは、国元からの指示と黒田のたっての希望で、かれに任せることになっている。自分の仕事は、これで終わりなのだ・・・。

陣幕を跳ね上げて表へ出ると、潮を含んだ初夏の風が頬を撫でていく。
銃声も、ときの声も聞こえない静かな町が、そこに広がっていた。
自分はこのまま、東京と名を変えた町へと帰還する。仲間達が、戦から離れたその場所で政事という見知らぬ化け物と奮闘しているのだ。

春雷が遠くから近付いてくるように、不穏な黒い影が少しづつ心に迫ってくる。
その圧迫感を本能的に感じとりながら、市之充は物思う。

・・・黒田は、この地に残るのだろうか。

陸軍参謀の地位にあるかれが、函館政府の要である榎本の人柄に心酔しているのは、既に皆の知るところとなっている。
市之充としても別にそれを悪い事とは思わないし、むしろ敵味方の区別なく理解しあえるのはひどく素晴らしい事のような気もした。
だから別段それを咎めることもなく、説得工作などにも目を瞑ってきたのだ。

のどかな春の日ざしの下で、屈託のない笑みを浮かべて握手する黒田と榎本。
おそらく美談として後世に語り継がれるであろうその場面が、市之充の想像の中で膨らむ。

「・・・寒ッ。」
ぶるっと震え、慌てて自分の肩を抱く。獲物を狙う鷹の素早さで黒い影が牙をむき・・・鈍い痛みが胸を突き刺した。
それを振払うように、唇を噛んで市之充は踵を返す。

これから彼が向かうのは、様々な私情や思惑の絡みあうところ・・・おそらくは水面下での策謀が行き交う、これまた違う意味での冷たく乾いた戦場だ。
気乗りがするわけではないが・・・ここで黒田らの友情をみせつけられるよりは幾分マシだろう。

総参謀山田市之允を乗せた船は、一路東京を目指して大海原へと滑り出した。

船の上で、市之充は浮かぬ顔で考え続ける。

この戦争が間違ったものだとは思ってはいない。それは胸を張って断言できる。
だが、自分はその中で一体何をしえたのだろうか。
仲間のうちにも指揮官として若すぎる市之充の手柄を妬んだり、人事が不当であると不満を持っている者も多いと聞く。
共に北越で戦い、また蝦夷でも協力しあったあの黒田は、戦いの果てにウツクシイ友情を手に入れた。山県はさっさと手を引き、官僚としての見聞を広めるため既に海外視察の旅に出ているという。

では自分は・・・?
人を殺し野山を焼き・・・そして一体何を手に入れたのだろうか。
得たものは、反感だけなのだろうか。
何故、勝軍の将となった今、歓喜の気持ちが湧いてこないのだろう・・・。
あるのは、どうしようもない喪失感と敗北感・・・そして、羨望、だ。

大きくため息をついて山田は机上に突っ伏した。
こんな事考えるなんてどうかしている・・・そう思ってはみても、瞑い考えが頭から離れない。

・・・きっと疲れているんだ。相次ぐ戦のおかげで神経が昂ってるから・・・。
関節が白くなるほどに握りしめた拳が震える。

「・・・大村さん・・・・・・」
無意識のうちに口からこぼれた、2人目の師の名前。それに気付いて山田はハッとした。

―――そうだ、東京へ戻ったら、まっ先に会いに行こう。
   蝦夷の事を報告しなくちゃならないし、この連戦に次ぐ連戦を指示したのは
   大村さんなんだ。
   きっと・・・そんな無駄な事を考えるんじゃないと、笑い飛ばしてくれる。
   そして、誰が何と言おうと、よくやったとねぎらってくれる筈だ ―――

そう考えると、さざ波だっていた胸の内が嘘のようにおだやかになっていく。
ようやく安心した山田は、船室のベッドに潜り込み、村田に会う日を心待ちにしながら久しぶりに穏やかな眠りについた。

愛弟子の帰還を祝う膳に飯と豆腐だけしか乗っていないのを見て、自分が激怒する羽目になる事など夢にも知らず、市之充は子供のように背を丸め、軽い寝息をたてている。

―――暗雲はまだ去ってはいない。遠くで春雷がゴロゴロと鳴っていた。


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