++ 恋心++


―――最初は、たいして気にもとめていなかった。
監察・山崎蒸が、どこかの商家の女に熱をあげている・・・という噂など。

2度目に聞いたのは、情報通ぶった原田のおしゃべりからだったろうか。
ちりり、と軽い痛みが指先をかすめていったような気がしたのだが、
手元の火鉢から炭が撥ねたのだろうと、そのまま忘れてしまった。

眉をしかめてその話を聞いたのは、3度目・・・
具体的な店の屋号が耳に入ってからだった。


―――不謹慎な噂が流れているようだが、隊務に差し支えがないようにしてくれよ。
ちくりと釘を刺すつもりで、頭の中で言葉を組み立てる。
これでジロリと睨めば、たいていの隊士は慌てて背筋をただすのだ。
ひとつ咳払いをして、土方はおもむろに監察方の部屋へと向かった。

ところが、噂の主の姿はどこにも見えない。
同じ監察役の篠原泰之進が、山崎はでかけたきり十日以上戻ってきていないのだと告げた。

「・・・・・・・・・。」
考えてみれば、監察というのは密偵の役割を持っている。
尊王派の情報を漏れ聞けば、幾日でもそこに潜んで裏を取るのが仕事である。
出ずっぱりになるのも不思議はない。

だが・・・。
逆に、隊から離れている間に、自由気ままに過ごすこともできるのでは・・・?
そう、例えば・・・商家の女に入れ込む、というような・・・。

ふわりとよぎる、らちもない疑い。
奴に限ってそんな事はないだろう・・・と、肩を竦めたところに、次の棘が刺さる。

「先斗町の方だと聞いてますし、急用ならば連絡を取りますが?」

考え込むような土方の顔をみて、篠原が気を効かせて付け加えたのだ。

確か例の商家があるのも、先斗町だった筈・・・。

「いや、必要ない。」
言葉短く言い捨てて、副長は足音荒く去っていく。
残された者達はわけもわからず首を傾げていたが、雑務に追われてすぐに忘れてしまうだろう。


それから数日後―――。自室にこもった土方は腕組みをしたまま難しい顔で座っている。
いつもは周囲をチョロチョロしている沖田には用を言いつけて追い出してしまった。
俳句でも練りたいところなのだが、どうも気持ちがザワザワして落ち着かない。
ひとりになった時間を持て余すように、土方は唇を噛む。

―――千々に乱れたこいごころ・・・か。

どこかで読んだ句を呟きながら、失笑した。
思考がまるきりまとまらず、それでいて放っておけばある一点・・・例の噂の真偽について・・・に必ず辿り着いてしまうこの状態は、それこそその句の通りだった。

―――だけど、これが恋心なんかである筈がねぇ・・・

自分の命よりも大切な人も、愛おしく想う者も、何を犠牲にしても守りたいものもある。
意識して鬼の副長を演じるようになってから、他人から好意を示されることが少なくなってきた。もちろん、昔馴染の近藤や沖田は別であったが。
そんな中、厳しい要望に嫌な顔ひとつせず応えてくれるあの男の存在が、
確かに心のよりどころになっていたかもしれない・・・
いつも変わらない穏やかな笑みに、好意を感じていたのかもしれない。

・・・それでも、これが恋なんかであるはずがない。
自分には他に大切なものがいくつもあるのだから。


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