++ カラスと月++
細谷十太夫は、深いため息をついて目の前の男を恨めし気に睨んだ。
ひとりで勝手に盃を満たし口へと運ぶ男は、そんな様子を眺めてニカッと笑う。
途端にやるせない程の疲労感が降ってきた。
開け放した窓の外では晩秋を惜しむ鈴虫が呑気に鳴いているというのに。
「そんなに情けねぇツラすんなって。だいたい、一戦も交えないで降伏なんて・・・
そんな馬鹿馬鹿しい話があってたまるかってんだ。」
「そりゃそうかもしれないけど・・・。」
「俺は行くよ。誰が何と言おうと、榎本艦隊に合流する。」
拗ねたやんちゃ坊主のように口を尖らせ、酒をあおる。
―――赤い羅紗の軍服がザンギリ頭に良く似合うこの男の名は、星恂太郎。
西軍に降伏した仙台藩の中で、唯一無傷で残った額兵隊を率いる隊長だ。
・・・といっても連戦連勝だった訳ではなく、戦の準備をしている間に藩が降伏を決定してしまったという不運の持ち主なのだ。
多くの仲間が死に、ふるさとの山河が焼かれた・・・。
その中で死に遅れただけでなく、戦いにさえ参加できなかったのだ。
ここで徹底抗戦を唱える彼の気持ちも、わからないでもない。
藩の上層部の命により、額兵隊を連れ戻しに来た細谷だったが、心に迷いがあるのを認めずにはいられなかった。
それでも、数日に渡って説得を試みている自分がここにいる。
何を願っているのか・・・どんな結果を望んでいるのか、自分の事だというのによくわからない。
矛盾した思いがからみ合い、混乱している・・・。
―――幕府がどうとか、思想がどうだとか・・・そんな事はわからねぇ。
だけど、俺達の故郷を踏みにじった西軍のやつらに
精一杯足掻いた結果ならともかく、戦わずに屈するなんて・・・
そんな自分を、この人が許せるはずがない。―――
―――だけど、藩としては降伏を決議したこれからが大変な時期で・・・―――
―――西軍の勢いは増してる。
戦場を移したからといって状況が良くなることは考え辛い。
物資の補給もできず、むしろ更に酷いものになるだろう・・・
脱走艦隊に合流して、果たして無事で済むのかどうか・・・―――
口に広がる酒が酷く苦い・・・。
だがきっと・・・星があおる酒の方が・・・どんなにか苦かろう。
そう思うと、胸がズキンと痛んだ。
「・・・・・・あー、もうしょうがねぇな。
わかったよ。そこまで言うなら、もう仕方ねぇ。アンタの事はすっぱりと諦めよう。」
一緒にいたかったけど・・・と、そのひとことをため息とともに飲み込む。
「・・・ほ、ほんとか?じゃぁお前も一緒に・・・」
「駄目だよ。そりゃぁできない。」
乗り出した星を制して、笑う細谷。
「俺には残ってやらなきゃならん事が山程ある。
恭順は口惜しいが、これ以上田畑を焼かれるわけにはいかん。
俺は、この地に住んでる連中の生活を、守りたいんだ・・・。
留守は任されるから、アンタは行って、俺達の分まで戦ってきなよ。」
「だけどお前・・・このまま残ったら無事じゃぁ済むまいよ。
奴らにとっちゃ恨み重なるからす組の細谷十太夫なんだぞ。」
「危なくなったら適当に逃げるさ。
俺の本職は密偵なんだ、潜伏するのはお手のものってね。」
―――何が正しくて何が不義なのか・・・まったくわからないこんな時代だからこそ、
・・・目指した先を真直ぐに見据えて思う通りに突き進むのが、
損得抜きに歩いていくのが『粋』ってモンなのかもしれない。
そんなもので人生決めたかぁないけど・・・
この男を引き止めようとするのは、俺の・・・執着だ。―――
言葉を失くした星の手を掴んで引き寄せる。
「・・・アンタが活躍してるっていう知らせを、俺は仙台で待ってるよ。
早く知らせが届くように、存分に暴れてくれ。
だけど。ヤバくなったら・・・いつでも俺んとこへ帰ってきなよ。」
・・・唇が触れ、言葉が途切れる。
見栄や酔狂で失くせる友ではないけれど・・・。
自分の執着で引き止めていい男でもない。
説得に費やした日々は、きっと自分を納得させるための時間だったのだ。
「明日・・・、仙台へ帰る。」
名残惜しく離れた唇が、思ったよりもしっかりと言葉を紡ぐ。
これが今生の別れになるかもしれないけれど・・・。
「・・・帰ってくるよ。必ず、帰ってくる。」
星の言葉に、ふっと気持ちが和む。信じて待ってみるのもいいかもしれない。
明かりを消した部屋の窓から見える、冷え冷えとした青い月に細谷はそっと友の無事を祈った。
か細い虫の音が、しっとりと夜に染みてゆく・・・
翌日、細谷と別れた額兵隊はその足で出航、途中で弾薬大砲を強奪し、榎本武揚率いる精鋭艦開陽へと乗り込んだ。
その騒ぎを見届けた細谷は、仙台への帰途につく。
戦火と敗戦の惨状の中を生き延びた2人が再会を果たすのは、明治3年の蝦夷地でのことであった。
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