++ 大地の祈り 海の声++
遠く聞こえる大砲の音―――。
浮かび上がってくる薄ぼんやりした意識の中で、人見はそれを聞いていた。
顔の半分から頭にかけてが、火傷したように熱を持っていて酷く疼く。
他にもずいぶんと傷を負ったらしく、寝返りをうつたびに背中や腕が悲鳴をあげた。
早く戦線に復帰しなければと、淀む思考が必死に形を成そうとしている時・・・だった。
「・・・の病院じゃぁ、もう助からないっていう重傷者に毒を飲ませたらしいよ。
いたづらに苦しみを長引かせるよりは・・・って事なんだろうけどさぁ。」
「総裁も切腹しようとしたって話じゃないか・・・。
・・・やっぱり、もうこの戦は駄目なんだろうねぇ。」
「西軍の捕虜の扱いはどうなんだろう。怪我人には恩情をかけてくれるのかねぇ」
忙しそうに汚れた包帯を替え、大量の洗濯物を抱えながら病室を出ていく手伝女たちの言葉が、人見の耳を突き刺した。
意識のない重態患者の世話をしているのだ、聞こえないだろうと油断していたのだろう。
・・・もう助からない重傷者。
そう聞いて思い起こすのは、伊庭の事だった。
至近距離で炸裂弾を爆発を受け、その肩や背中に無数の破片を浴びた彼は、異物を除くこともできず、腫れ上がり膿んだ傷口が腐っていくのをそのままに・・・ただ、時が来るのを待っている。
手伝女が口にしたのは、その伊庭が残り少ない生命を横たえる病院の名だった。
考えるいとまもなく、痛む体をひきずるようにして人見は部屋を飛び出していた。
走っているというよりは、むしろよろめきあちこちにぶつかりながら・・・どうやってその病院まで辿り着いたのかさえ覚えていない。
ただ、気がついた時には、暗くなった大きな部屋に並べられた大勢の兵士たちの姿があり・・・その中の一点、探していた伊庭八郎の青ざめた顔に視線が釘付けになっていた。
・・・転がり込むように、傍に駆け寄る人見。
穏やかなその表情に、既に血の気はない。触れた頬にも、紫色に腫れ上がった肩にも・・・温もりはどこにもない。
部屋に立ち篭めた線香の香りが、無情な事実を突き付けていた。
「伊庭ァッ!!!!」
冷たくなった身体を抱いて揺さぶっても、あの困ったような微笑は戻ってはこない。
真新しいものに替えられた包帯から、血が滲んでくることもない。
・・・拭いきれなかった膿の据えたような腐臭に惹かれたのか、数匹の蠅がふらふらと寄ってきて白布に止まろうとした。
「!!」
反射的にをれを振払う。だが、追い払っても追い払っても、蠅は執拗に辺りを飛び回り続ける。
人見にとってどんなに愛すべき戦友、心をわかちあった親友だったとしても・・・亡骸となってしまった今、この虫にとってはただ生き延びるための糧でしかないのだ。
蠅なりに必死なのだろうが・・・、綺麗に整えられた遺体なだけに、辛い。
あまりに哀しい、腕の中にいるその身体に顔を押し付けて、人見は泣いた。
開いた傷口から血が溢れだしたのか、それとも涙なのか・・・生暖かいものが頬を伝っていく。
さっきの女たちは、榎本が自決しようとしたと噂していた。
敗戦、降伏がこれほど間近に迫っている今、ここに並んだ兵士たちを弔ってやる余裕が、函館政府には果たしてあるのだろうか。
・・・敗戦後に、西軍は死者の埋葬を許すだろうか。首級をあげたり、しないだろうか。
寒い蝦夷地だとはいえ、放置すれば彼等はこのまま腐り、蛆の温床になってしまう。
悪い懸念は妄想となって果てなくひろがる。
疲労した体に鞭打って、ついに人見は伊庭を背負って立ち上がった。
そのまま歯を食いしばり、よろよろと今来た道を引き返す。
逃げる場所があるわけではない。
急坂の向こうに見える海・・・そこへ行こうと、人見は漠然と考えていた。
何度も、何度も転び倒れた挙げ句に辿り着いた砂浜。
寄せては返す規則的な波の音が、まるで子守唄のように聞こえる。
―――伊庭の亡骸を、この広い海に流してやりたかったのだ。
誰も汚す事のできない場所に、葬ってやりたかったのだ。
だが、そんな慟哭とうらはらに人見の膝はついに力を失って崩れ落ちた。
真っ白だった伊庭の包帯も着せ替えたばかりの服も、人見の流す血で深紅に染まっている。
這いずって波打際を目指すが、大の大人を引きずるだけの力はもう残ってはいない。
止まらない涙が、流れていく血潮が、白い砂を染めていく。
何のための涙なのか、もうそれすら、わからない。
・・・放り出したままの痛みすら麻痺しかけた四肢が冷えてゆく。
ぼんやりとした意識の中で、人見は、さらさらと歌うように流れる囁きを聞いた。
―――還っておいで。
―――貴方たちの想いを、決して忘れはしないから・・・。
それは、幾多の人々が流した涙と血とを吸った母なる大地の祈り。
そして悲しみや嘆きを洗い流していく、海の声・・・。
例え、時代の波が生け贄を飲み込んで新たな時代を創ろうとも・・・
後世に生きる人々が、この嘆きと祈りを忘れてしまっても・・・
決して息絶えることのない大地が、海が、
俺達がめざした希望を、願った夢を・・・その想いを語ってくれるのなら。
安堵に似た穏やかな想いが満ちて、人見は薄れていく意識を手放した。
遠くで叫ぶ人の声がする。
あれは・・・そうだ、伊庭の傍にいつもいた鎌吉だ。
・・・そういえば骨を拾って実家へ届けるんだって言ってたっけ。
ああ、そうだ・・・伊庭には帰る場所も待ってる人も・・・いるんだった。
馬鹿な激情に任せて、その人達から伊庭をとりあげてしまうところだった・・・
ああ、よかった・・・。
鎌吉・・・伊庭の事は、頼んだぞ。
俺も、もしも生きて帰る事ができたなら・・・
・・・待っていてくれる人に・・・・・・・・・
END.
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