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酒を満たした盃を口に運びながら、秀麗な顔立ちを曇らせて伊東は何度目かのため息をついた。膳に並ぶ料理には、まだ何も手をつけていない。 どうやら心配事が頭から離れないその様子を、篠原は面白そうに観察している。 「・・・あんたらしくもないね、伊東先生。 まだ皆には言っていないのだろう?今ならこの話、俺の胸の中だけにしまって 無かった事にもできるんだよ。 あの人斬り集団へ入るのが・・・気が進まないんなら、やめておくかい?」 「・・・とんでもない。 いや、あなたが一緒に行ってくれるというんだ。迷うような事は何もないさ。 ・・・ただ・・・・・・・」 「ただ?」 静かに盃を置いて、伊東は困ったように苦笑してみせた。 「・・・・・・これが、私の男としての第一歩かと思うと、 なかなかに複雑な気分なのだよ。 私の理想を実現させるための最初の一歩・・・踏み出したらもう後戻りはできない。 その重責を、嬉しいながらに噛みしめている、といでもいうのかな・・・。」 悪びれもなく自身の胸の内を語る伊東に、今度は篠原が苦笑した。 文武に秀でた大人物と褒め称えられる伊東甲子太郎だが、考えてみれば温室ともいえる道場や塾の中でその才能を発揮してきたに過ぎない。 それが、いざ戦地へ・・・それも、自分が乗っ取りをたくらむ壬生狼の巣へ飛び込むというのだから、多少の気後れがあっても無理ない事だろう。 「後悔してる訳じゃぁないんだね?」 「もちろんだ。大丈夫、きっとうまくやれる。 先日近藤氏にも会ってみたがね・・・私の論説にずいぶん傾倒してくれたよ。」 穏やかに笑うその顔には、自分の計画への不安は微塵もない。 それが、安堵でもあり不安でもある・・・と、篠原はそっと心の中で呟いた。 「それじゃぁ・・・あんたの旅の始まりに、餞別を贈らせてもらおうかな。 ・・・俺の、男の誠って奴を、あんたにあげるよ。」 よっこらしょ、と立ち上がると、篠原は伊東の傍らに座り直した。 「男の誠とは・・・随分と仰々しいものだ・・・なッ・・・え、篠原さん・・・?」 突然肩を抱き寄せ、篠原は伊東の薄い唇を吸った・・・。 驚いた伊東が慌てて突き飛ばすのを、更に強い力で抱きすくめ、言い聞かせるように耳元で囁く。 「・・・言っただろう、俺の誠だ、って。 別に酔狂でやっている訳じゃないし、あんたを辱めようってつもりもない。 だが、あんたが微塵でもそんな風に感じたなら・・・この脇差しで俺を斬っていいよ。」 篠原は自分の脇差しをスラリと抜いて伊東に握らせた。 「・・・・・・・・・?!」 再び唇を熱いものが覆い、伊東は畳の上に押し倒された。既に篠原の手は帯を解きにかかっている。 男の唇が顎から首筋を経て胸へと降りてゆくと、さすがに冗談では済まない。脇差しを握る手に力がこもり、怒気を含んだ声で伊東は自分にのしかかる男の名を呼んだ。 「・・・篠原さん。あなたにこんな趣味があったとは・・・知らなかったな。」 「・・・別に趣味なわけじゃないさ。」 と、宥めるような穏やかな声。 「男に興味なんかないよ・・・あんたじゃなきゃ、こんな事しない。 こんなふうにできるほど、俺はあんたを大切に思ってるよ。 ・・・事が始まったら・・・、俺達が必ずあんたを守ってやるから。 あんたは何も心配せずに、計画に奔走すればいい。 それを・・・知って、ちゃんと覚えていて欲しいんだよ。 俺は、あんたを守るために抱くんだ。傷つけるために抱くんじゃない。 これは俺にとったって一大事なんだ。 ・・・わかるかい? こりゃぁ、俺なりの誓いなんだぜ。 酔狂なんかじゃなく、あんたとひとつになれるって事を 言葉なんかじゃなくて、頭でっかちなあんたの心に刻みたいんだ。 どんなに状況に陥っても、どんな不安があんたを揺らしても・・・ 伊東先生、この誓いだけは忘れないでくれよ。」 反論の言葉を失い、伊東は恨めしそうに篠原を見上げる。 触れ合った肌から、じんわりとぬくもりが伝わってくる。 まるで篠原の人柄やその言葉のように、どこか朴訥としたあたたかみ。 それは、静かに伊東の中の緊張や力み、そして本人も気付かぬうちに募っていた不安を鎮めていってくれる・・・。 「そんなに怒らないでさ・・・力抜きなよ、伊東先生。」 屈託なく笑う篠原に、とうとう伊東は諦めた。ぽとりと手から脇差しがこぼれる。 自分が全幅の信頼を置くこの男がする事なのだ。信じて身を任せてみてもいいかもしれない。 いや、むしろそれができないようでは、この先やっていかれないのではないだろうか。 「・・・篠原さん。」 なんです?と、顔を寄せる篠原の首に手をまわし、伊東はゆっくりと引き寄せる。 「・・・今日は、泊まっていこう。」 「・・・承知。」 明かりの落ちた部屋の中、衣擦れの音と互いを求める湿った音・・・ そして控えめな艶声が、ゆっくりと更けていく夜をいろどっていった。 (おわり) |
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